741年聖武天皇の詔によって、全国66ヶ国、2島に国分寺
創建が始まり、安芸国分寺は750年頃には主要な伽藍は建って
いたと推定されている。
平安時代には塔は喪失していたが、その後盛衰を繰り返し、奈良
時代の伽藍は残っていないが、その法灯を現在の安芸国分寺は
引き継いでいる。
境内の周囲の安芸国分寺跡は安芸国分寺歴史公園…
741年聖武天皇の詔により、全国66ヶ国、2島に国分寺と
国分尼寺の建立が始まった。
安芸国分寺は750年頃には、主要な伽藍が建立されていたと
考えられ、今日までその法灯を引き継いで、現在の安芸国分寺
がある。
しかし、奈良時代の伽藍は全てなくなり、その境内跡地は発掘
調査、整備を経て、安芸国分寺歴史公園として公開されている…
<全国のお寺一覧>
岡山県のお寺を紹介
真光寺(備前市):<重文>本堂・三重塔
福生寺<大滝山>(備前市):<重文>三重塔
正楽寺(備前市):中国三十三観音霊場第3番
松本寺(備前市):閑谷学校近辺の古刹
西願寺(備前市):菩提樹とイチョウ
西念寺(備前市):陣屋門
長法寺(備前市):備前の古刹
安養寺(和気町…
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旭川右岸にあって、かっては河口で港があった浜野地区に
建つのが松寿寺である。
本堂前のえんじゅ(槐)の木は推定樹齢600年といわれる
老木で、言伝えによると、1744年この木の空洞から光を
放って鬼子母神像が現れたので、お堂を建てて祀ったとか。
それ以来、<鬼子母神えんじゅ>とよんでいるそうだ。
この鬼子母神は子授かり、安産…
<全国のお寺一覧>
島根県のお寺を紹介
清水寺(安来市):島根の名刹
雲樹寺(安来市):楼門が醸し出す風景
城安寺(安来市):広瀬藩主の菩提寺
巌倉寺(安来市):松江開府の祖・堀尾吉晴の墓
永昌寺(安来市):母里藩ゆかりの寺
長台寺(安来市):要害山麓
月照寺(松江市):松江藩主松平家の菩提寺
天倫寺(松江市)…
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東山寺の本尊・千手観音は一木三体と伝えられ、常隆寺、千光寺の
本尊の三体といわれて淡路三山とよばれている淡路島の名刹である。
東山寺は、819年弘法大師空海によって開創されたと伝えられ、
七堂伽藍を備える大寺であったといわれている。
一時廃寺同然の状態であったが、尼僧が入って再興し今日まで
尼寺として維持されている。
紅葉ス…
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<全国のお寺一覧>
鳥取県のお寺を紹介
観照院(岩美町):因幡西国観音霊場第6番
龍岩寺(岩美町):因幡西国観音霊場第5番
隣海院(岩美町):東浜海岸
長谷寺(岩美町):鳥取藩ゆかり
西法寺(岩美町):小説家尾崎翠の生家
東源寺(岩美町):中国四十九薬師霊場第47番
長安寺(岩美町):岩井温泉ゆかり
本光寺(岩…
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米子の寺町近くの灘町に、赤い石州瓦屋根の伽藍が建つのが
吉祥院で、その開創は寛平年間(889~898年)と伝え
る古刹で、江戸時代には、鳥取藩家老で米子城代であった
米子荒尾氏の祈願寺であったといわれている。
本堂前に立つ青石地蔵は、まさしく青石で彫られており、
めったに見られないお地蔵さんといえよう。
<鳥取県のお…
淡路三山の名称には二通りあり、1つは淡路島3山岳
<諭鶴山(608m)、柏原山(569m)、先山(448m)>と
もうひとつは淡路島山岳3名刹
<常隆寺、東山寺、千光寺>である。
先山は別称淡路富士とも呼ばれ、天地開闢の日本最初峰と伝承される
霊山で、千光寺はその頂上に位置している。
…
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<兵庫県のお寺一覧>
淡路島の淡路市、洲本市、南あわじ市のお寺一覧
本福寺(淡路市):建築家安藤忠雄設計の水御堂
宝生寺(淡路市):淡路島七福神<寿老人>
東山寺(淡路市):淡路三山
常隆寺(淡路市):淡路三山
八浄寺(淡路市):淡路島七福神大黒天
円城寺(淡路市):桜の名所
智禅寺(淡路市):淡路島七福神弁財天…
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淡路島での難読地名の一つ<安乎(あいが)>町にあって、
五百羅漢の寺として蓮花寺が建つ。
五百羅漢は、本来釈迦の弟子五百人であるが、近年では
異なった表情の人々を彫って、自分の顔に似ている像を
探すなど多数の彫像を五百羅漢と呼称している場合もある。
ここ蓮花寺の五百羅漢は、1784年から和尚が彫り始めて
代々60数年かけて彫…
四天王寺の中心伽藍は大阪大空襲で焼失したが、一部残った伽藍も
あり、歴史を物語っている。
聖徳太子建立七大寺の一つである四天王寺は、太子建立の最初の
お寺といわれている。
あべのハルカス展望台から見た四天王寺
四天王寺境内からのあべのハルカス
<大阪市のお寺一覧…
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586年に起こった蘇我馬子と物部守屋の崇仏・排仏の対立、国家運営思想
の対立などから戦となり、その時14歳で馬子に従った聖徳太子は自軍の
勝利を念じて四天王を刻み、勝利が適えばお寺を建てる誓いを立てた。
聖徳太子は戦に勝って、その誓いを実行すべく593年難波に四天王寺の
建立を始めた。
これが四天王寺の開創であり、日本最初の官…
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河内から大和・龍田大社へ山越えする龍田越えの途次に位置する
雁多尾畑(かりんどおばた)集落に建つのが松谷光徳寺である。
お寺は、988年円融法皇の勅願で開創されたと伝え、1228年
再興され、再建された本堂が<雁林堂(かりんどう)>と呼ばれ、
その後地名が雁多尾畑になったと言い伝えられている。
由緒あるお寺に相応しい山門の構え…