光永寺 (奈良県高取町) 人頭石
日本三大山城の高取城、寛永年間(1624~44年)以降藩士たち
は、麓の土佐街道界隈に住まいを構え、城下町として高取は栄えた。
その土佐街道の北端に建つのが光永寺である。

高取城跡

高取城跡

土佐街道

光永寺外観
光永寺の開創は不詳であるが、文明年間(1469~87年)に再興
されたと伝えている。
光永寺の名前を知らしめているのが、飛鳥時代と推定されている
<人頭石>で、明日香村などで発見された猿石などと同類と考えられ
日本遺産<日本国創成のとき>の構成文化財となっている。
<奈良県のお寺一覧>
(1)寺名:光永寺(こうえいじ)
(2)住所:奈良県高取町観覚寺1518-1
(3)山号:無量山 (4)宗派:浄土真宗本願寺派
(5)開創:不詳 (6)本尊:阿弥陀如来
(7)訪問日:2020年10月13日

山門

親鸞聖人像

本堂

人頭石
顎の尖った外国人風
は、麓の土佐街道界隈に住まいを構え、城下町として高取は栄えた。
その土佐街道の北端に建つのが光永寺である。
高取城跡
高取城跡
土佐街道
光永寺外観
光永寺の開創は不詳であるが、文明年間(1469~87年)に再興
されたと伝えている。
光永寺の名前を知らしめているのが、飛鳥時代と推定されている
<人頭石>で、明日香村などで発見された猿石などと同類と考えられ
日本遺産<日本国創成のとき>の構成文化財となっている。
<奈良県のお寺一覧>
(1)寺名:光永寺(こうえいじ)
(2)住所:奈良県高取町観覚寺1518-1
(3)山号:無量山 (4)宗派:浄土真宗本願寺派
(5)開創:不詳 (6)本尊:阿弥陀如来
(7)訪問日:2020年10月13日
山門
親鸞聖人像
本堂
人頭石
顎の尖った外国人風