明淳寺 (岐阜県関市) 明淳寺文書

明淳寺文書は、一つの書状と二つの印書から成り、書状は
本願寺顕如が1580年4月15日に書した書状で、石山合戦
(1570~1580年)で織田信長と和睦し、石山本願寺を
退出し、紀伊で本願寺を正当に継いでおり、和睦に反対した教如
の行動には賛同しないようにと通達する内容となっている。
これは、石山合戦の終戦和睦を巡って教如と対立した事情から
門徒に出した通達といえよう。
此の後、1602年本願寺が東西に分裂する遠因が、この合戦
和睦にあるのだろう。

明淳寺の開創については不詳である。

<岐阜県のお寺一覧>

(1)寺名:明淳寺(みょうじゅんじ)
(2)住所:岐阜県関市平和通1-17
(3)山号:埜邑山 (4)宗派:浄土真宗本願寺派
(5)開創:不詳 (6)本尊:阿弥陀如来
(7)その他
1)顕如上人石山合戦書状:市指定文化財 1580年
2)訪問日:2019年5月5日

1外観(21-2422)明淳寺 (4).JPG
                 外観

2山門(21-2422)明淳寺 (2).JPG
                 山門

3本堂(21-2422)明淳寺 (6).JPG
                 本堂