繁久寺 (富山県高岡市) 五百羅漢
加賀藩初代藩主前田利長(藩祖は前田利家)の菩提寺であり、
国宝に指定されている瑞龍寺から、八丁道を900mほど東
に前田利長墓所がある。
1646年、二代藩主利常によって造営された墓所は、当時
1万坪といわれ、類を見ない豪壮なものだったといわれている。
現在は、縮小され高岡市が所有管理している。

前田利長像

瑞龍寺山門

瑞龍寺仏殿

八丁道

前田利長墓所入口

参道

墓所

墓所
この墓所を守るために、現在の氷見市にあった飯久寺を
1646年利常は前田利長墓所の前に移し、繫久寺として
その任にあたらせた。
しかし、明治時代の廃藩置県により加賀藩の庇護も無くなり
困窮したが、種々の努力で現在もその寺格を保っている。
また、前田利長が高岡に残した遺産が現在の高岡を支えて
いることからも、高岡市民の繁久寺への思いは続いている。
<富山県のお寺一覧>
(1)寺名:繁久寺(はんきゅうじ)
(2)住所:富山県高岡市芳野89
(3)山号:仙寿山 (4)宗派:曹洞宗
(5)開基:狩野中務 (6)開創:1562年
(7)本尊:釈迦牟尼
(8)その他
1)五百羅漢は大正~昭和時代にかけて造像
2)参考
前田利長墓所:国指定史跡 高岡市管理
3)訪問日:2005年10月31日、2019年6月2日

繁久寺外観

山門

本堂

坐禅堂

玄関

五百羅漢堂

五百羅漢

国宝に指定されている瑞龍寺から、八丁道を900mほど東
に前田利長墓所がある。
1646年、二代藩主利常によって造営された墓所は、当時
1万坪といわれ、類を見ない豪壮なものだったといわれている。
現在は、縮小され高岡市が所有管理している。

前田利長像

瑞龍寺山門

瑞龍寺仏殿
八丁道

前田利長墓所入口

参道

墓所

墓所
この墓所を守るために、現在の氷見市にあった飯久寺を
1646年利常は前田利長墓所の前に移し、繫久寺として
その任にあたらせた。
しかし、明治時代の廃藩置県により加賀藩の庇護も無くなり
困窮したが、種々の努力で現在もその寺格を保っている。
また、前田利長が高岡に残した遺産が現在の高岡を支えて
いることからも、高岡市民の繁久寺への思いは続いている。
<富山県のお寺一覧>
(1)寺名:繁久寺(はんきゅうじ)
(2)住所:富山県高岡市芳野89
(3)山号:仙寿山 (4)宗派:曹洞宗
(5)開基:狩野中務 (6)開創:1562年
(7)本尊:釈迦牟尼
(8)その他
1)五百羅漢は大正~昭和時代にかけて造像
2)参考
前田利長墓所:国指定史跡 高岡市管理
3)訪問日:2005年10月31日、2019年6月2日
繁久寺外観
山門
本堂
坐禅堂
玄関
五百羅漢堂
五百羅漢