西光寺 (徳島県阿南市那賀川町) 阿波公方
那賀川の河口近くにあって、その右岸に建つ西光寺は神亀年間
(724~729年)の開創と伝える古刹である。
那賀川
西光寺参道
西光寺の桜
室町時代、応仁の乱(1467~77年)後は足利幕府の権力
が崩壊し、戦国の時代に入った幕府将軍の地位を巡っての権力
闘争で、12代将軍足利義晴と争った足利義冬(義雄)が敗れ
1534年、阿波平島(現在の阿南市那賀川町)に移り、
阿波公方(平島公方)と呼ばれた。
密かに将軍の地位を狙い、義冬の子義栄は14代将軍となったが、
織田信長に敗れ、阿波公方は静かに平島の地で、1805年
まで続いた。
この阿波公方の菩提寺が西光寺である。
足利一族の阿波公方は、文化面でこの地に多くを残したと
いわれ、阿南市では一目置いている。
<徳島県のお寺一覧>
(1)寺名:西光寺(さいこうじ)
(2)住所:徳島県阿南市那賀川町赤池185
(3)山号:己心山 (4)宗派:真言宗大覚寺派
(5)開基:行基 (6)開創:神亀年間
(7)本尊:不動明王
(8)その他
1)平嶋庄内惣講識寄進状之事:市指定文化財
2)平島公方墓所:市指定史跡
3)訪問日:2020年4月8日
山門
境内
弘法大師像
大師堂
本堂
阿波公方墓所
足利義冬墓
(724~729年)の開創と伝える古刹である。
那賀川
西光寺参道
西光寺の桜
室町時代、応仁の乱(1467~77年)後は足利幕府の権力
が崩壊し、戦国の時代に入った幕府将軍の地位を巡っての権力
闘争で、12代将軍足利義晴と争った足利義冬(義雄)が敗れ
1534年、阿波平島(現在の阿南市那賀川町)に移り、
阿波公方(平島公方)と呼ばれた。
密かに将軍の地位を狙い、義冬の子義栄は14代将軍となったが、
織田信長に敗れ、阿波公方は静かに平島の地で、1805年
まで続いた。
この阿波公方の菩提寺が西光寺である。
足利一族の阿波公方は、文化面でこの地に多くを残したと
いわれ、阿南市では一目置いている。
<徳島県のお寺一覧>
(1)寺名:西光寺(さいこうじ)
(2)住所:徳島県阿南市那賀川町赤池185
(3)山号:己心山 (4)宗派:真言宗大覚寺派
(5)開基:行基 (6)開創:神亀年間
(7)本尊:不動明王
(8)その他
1)平嶋庄内惣講識寄進状之事:市指定文化財
2)平島公方墓所:市指定史跡
3)訪問日:2020年4月8日
山門
境内
弘法大師像
大師堂
本堂
阿波公方墓所
足利義冬墓