明王院 (和歌山県広川町) 護摩堂
安政元年(1854年)の大地震津波の際に、濱口梧陵が稲むらの火で
村人を一時避難させた、高台にある広八幡神社の別当寺であったのが、
明王院で、神社の隣地に護摩堂のみを残して建っている。
広八幡神社は6世紀中頃の創建と伝わり、室町時代までに神仏習合の
形態をとって、仙光寺と12坊があったといわれている。
その後、仙光寺と10坊は廃れ、残る2坊薬師院と明王院が江戸時代
末期まで残り、別当寺の役割を果たした。
明治時代の神仏分離により、薬師院は廃寺、明王院も護摩堂を残すのみ
となった。また、神社にあった多宝塔や鐘楼などお寺の堂宇は、他の
お寺に移築している。
明治時代の神仏分離の典型的な事例である。
<全国のお寺総覧>
(1)寺名:明王院(みょうおういん)
(2)住所:和歌山県広川町上中野17-1
(3)宗派:和宗(大阪市 四天王寺が総本山)
(4)開創:不詳 (5)本尊:不動明王
(6)その他
1)護摩堂:町指定文化財 室町時代
2)参考
広八幡神社6棟:重要文化財 室町時代
3)訪問日:2020年2月2日

明王院全景

護摩堂

護摩堂

延命地蔵尊

広八幡神社境内

広八幡神社楼門

広八幡神社拝殿など

濱口梧陵碑

村人を一時避難させた、高台にある広八幡神社の別当寺であったのが、
明王院で、神社の隣地に護摩堂のみを残して建っている。
広八幡神社は6世紀中頃の創建と伝わり、室町時代までに神仏習合の
形態をとって、仙光寺と12坊があったといわれている。
その後、仙光寺と10坊は廃れ、残る2坊薬師院と明王院が江戸時代
末期まで残り、別当寺の役割を果たした。
明治時代の神仏分離により、薬師院は廃寺、明王院も護摩堂を残すのみ
となった。また、神社にあった多宝塔や鐘楼などお寺の堂宇は、他の
お寺に移築している。
明治時代の神仏分離の典型的な事例である。
<全国のお寺総覧>
(1)寺名:明王院(みょうおういん)
(2)住所:和歌山県広川町上中野17-1
(3)宗派:和宗(大阪市 四天王寺が総本山)
(4)開創:不詳 (5)本尊:不動明王
(6)その他
1)護摩堂:町指定文化財 室町時代
2)参考
広八幡神社6棟:重要文化財 室町時代
3)訪問日:2020年2月2日

明王院全景

護摩堂

護摩堂

延命地蔵尊

広八幡神社境内

広八幡神社楼門

広八幡神社拝殿など

濱口梧陵碑