専応寺 (大阪府大東市) 親鸞聖人二十四輩寺院

<のざきまいりは屋形船でまいろ~>の野崎小唄で歌われる<野崎
まいり>は、元禄年間(1688~1704年)頃から野崎観音
(慈眼寺)をお参りする風習が広まったが、そのお参りの前に、
専応寺の聖徳太子堂にお参りする風習があったといわれる。
これが<太子信仰>の顕著な顕れであろう。

専応寺は、鎌倉時代後期に親鸞聖人の高弟24人の一人・唯信が
開創したと伝わる。
この24人の高弟を二十四輩と呼び、この高弟が開創したお寺を
二十四輩寺院と呼んでいる。

<全国のお寺総覧>

(1)寺名:専応寺(せんのうじ)
(2)住所:大阪府大東市野崎2-9-50
(3)山号:戸森山 (4)宗派:浄土真宗本願寺派
(5)開基:唯信 (6)開創:鎌倉時代後期
(7)本尊:阿弥陀如来
(8)その他
1)聖徳太子立像:市指定文化財 室町時代 像高72cm 孝養像
2)阿弥陀如来像(画):市指定文化財 室町時代
3)イチョウ、クスノキ:市指定保護樹
4)訪問日:2019年1月19日


1山門(27-9878)専応寺 (11).JPG
                 山門

2山門前(27-9878)専応寺 (8).JPG
                 山門前

3本堂とイチョウ(27-9878)専応寺 (9).JPG
               本堂とイチョウ

4野崎観音(27-9878)専応寺 (10).JPG
                野崎観音


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