崇福寺跡 (滋賀県大津市) 十大寺

京都と大津を結んだ旧山中越を、大津滋賀里から登ると、百穴古墳群、
志賀の大仏を経て、旧山中越と崇福寺跡への分岐点に至る。
そこを崇福寺跡へ登り、南尾根の金堂跡へ

1旧山中越百穴古墳群前(25-0233)旧山中越え阿弥陀三尊磨崖仏 (4)1.JPG
             旧山中越百穴古墳群前

2旧山中越(25-0232)志賀の大仏 (1).JPG
                旧山中越

3志賀の大仏堂(25-0232)志賀の大仏 (5).JPG
               志賀の大仏堂

4志賀の大仏(25-0232)志賀の大仏 (7).JPG
                志賀の大仏

5旧山中越と崇福寺跡分岐点(25-0233)旧山中越え阿弥陀三尊磨崖仏 (3)1.JPG
           旧山中越と崇福寺跡分岐点 右へ

6崇福寺跡へ(25-0171)崇福寺跡  (1).JPG
                崇福寺跡へ

7左へ(25-0171)崇福寺跡 (4).JPG
                 左へ

8(25-0171)崇福寺跡 (5).JPG

9左へ(25-0171)崇福寺跡 (10).JPG
                  左へ

10金堂跡へ(25-0171)崇福寺跡 (12).JPG
                金堂跡へ

崇福寺は、天智天皇が近江大津京へ遷都した667年の翌年、大津京
鎮護のために開創したと伝えられている。
平安時代には、官寺十大寺の一つに数えられ、大いに栄え、広大な
伽藍を有したといわれている。
<官寺十大寺>
大安寺(奈良市)、元興寺(奈良市)、弘福寺<川原寺>(明日香村)
薬師寺(奈良市)、四天王寺(大阪市)、興福寺(奈良市)、
法隆寺(斑鳩町)、崇福寺(大津市)、東大寺(奈良市)、西大寺(奈良市)
 
その後盛衰を経て、室町時代に廃寺となっている。
現在、北尾根、中尾根、南尾根に礎石などの遺構がのこされている。

<大津市のお寺一覧>

(1)寺名:崇福寺跡(すうふくじあと)
(2)住所:滋賀県大津市滋賀里町甲
(3)開基:天智天皇 (4)開創:668年
(5)廃寺:室町時代
(6)その他
1)崇福寺跡:国指定史跡
   北尾根:弥勒堂跡
   中尾根:塔跡、小金堂跡
   南尾根:金堂跡、講堂跡、経蔵跡
2)出土品舎利容器:国宝 近江神宮所蔵
3)訪問日:2020年3月7日 南尾根のみ


1崇福寺跡石碑(25-0171)崇福寺跡 (20).JPG
               崇福寺跡石碑

2南尾根(25-0171)崇福寺跡 (15).JPG
               金堂、講堂跡

3金堂跡(25-0171)崇福寺跡 (24).JPG
                 金堂跡

4礎石(25-0171)崇福寺跡 (23).JPG
                  礎石

5講堂跡(25-0171)崇福寺跡 (21).JPG
                 講堂跡


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