常慶院 (徳島県徳島市) 滝薬師
厄除け薬師として信仰の篤い<滝薬師>は、眉山東北麓に建つ。
麓に薬師堂(本堂)、そこから山腹に続く石段を登ると、途中
には、芭蕉句碑、滝不動などを経て、聖観音堂に到着する。
この観音堂は、1945年徳島大空襲によって焼失した三重塔
の跡地に建てられたもので、麓の本堂も同じく空襲で焼失後、
再建されている。
常慶院は、戦国時代、現在の藍住町勝瑞に持明院として開創され
1585年蜂須賀家政が徳島に入り、徳島城の築城を開始し
城下町の整備に着手し、寺町の構築に際して、1593年頃
現在地に移っている。
江戸時代には、徳島藩の庇護を受け栄えたが、明治時代に入って
衰微している。
大空襲によって伽藍は全て焼失したが、1958年再興され
ている。
かっての大寺の面影はないが、麓から山腹に登ると、それを
想像する空気が漂っている。
<徳島県のお寺一覧>
(1)寺名:常慶院(じょうけいいん)<通称:滝薬師>
(2)住所:徳島県徳島市眉山町大滝山7
(3)山号:大滝山 (4)宗派:高野山真言宗
(5)開創:不詳 (6)本尊:薬師如来
(7)その他
1)芭蕉句碑:しばらくは滝にこもるや夏のはじめ
2)訪問日:2018年4月28日

弘法大師像

本堂

観音堂へ

滝不動

芭蕉句碑

聖観音堂
麓に薬師堂(本堂)、そこから山腹に続く石段を登ると、途中
には、芭蕉句碑、滝不動などを経て、聖観音堂に到着する。
この観音堂は、1945年徳島大空襲によって焼失した三重塔
の跡地に建てられたもので、麓の本堂も同じく空襲で焼失後、
再建されている。
常慶院は、戦国時代、現在の藍住町勝瑞に持明院として開創され
1585年蜂須賀家政が徳島に入り、徳島城の築城を開始し
城下町の整備に着手し、寺町の構築に際して、1593年頃
現在地に移っている。
江戸時代には、徳島藩の庇護を受け栄えたが、明治時代に入って
衰微している。
大空襲によって伽藍は全て焼失したが、1958年再興され
ている。
かっての大寺の面影はないが、麓から山腹に登ると、それを
想像する空気が漂っている。
<徳島県のお寺一覧>
(1)寺名:常慶院(じょうけいいん)<通称:滝薬師>
(2)住所:徳島県徳島市眉山町大滝山7
(3)山号:大滝山 (4)宗派:高野山真言宗
(5)開創:不詳 (6)本尊:薬師如来
(7)その他
1)芭蕉句碑:しばらくは滝にこもるや夏のはじめ
2)訪問日:2018年4月28日

弘法大師像

本堂

観音堂へ

滝不動

芭蕉句碑

聖観音堂