正福寺 (兵庫県豊岡市) 大石りくの遺髪塚
円山川右岸の日撫(ひなど)地区にあって、円山川を望む
小高い処に建つ正福寺(香林会館)には、大石内蔵助の妻
りく(理玖)<法号:香林院>の遺髪塚が建ち、豊岡市の
スポットとなっている。
大石りくの簡単な経歴
1669年:豊岡藩家老・石束毎公の長女として誕生
1687年:赤穂藩家老・大石内蔵助良雄と結婚
1701年:赤穂藩主・浅野長矩の江戸城内刃傷事件
赤穂藩取り潰し
1702年:内蔵助は将来のことを考え、りくと離縁
りくと子供は豊岡へ
12月赤穂義士の吉良家討ち入り
1703年:内蔵助など46義士切腹
1713年:三男大三郎が広島藩に仕官
りくも広島へ
1736年:広島で亡くなり、国泰寺に埋葬
その後、遺髪が豊岡に送られ、正福寺に遺髪塚建立
<丹波、但馬のお寺一覧>
(1)寺名:正福寺(しょうふくじ)<管理:香林会館>
(2)住所:兵庫県豊岡市日撫17
(3)宗派:曹洞宗 (4)開創:不詳
(5)本尊:
(6)訪問日:2019年6月25日

外観

大石りく像

本堂

平岩弓枝文学碑

大石りく遺髪塚

境内から円山川を望む

小高い処に建つ正福寺(香林会館)には、大石内蔵助の妻
りく(理玖)<法号:香林院>の遺髪塚が建ち、豊岡市の
スポットとなっている。
大石りくの簡単な経歴
1669年:豊岡藩家老・石束毎公の長女として誕生
1687年:赤穂藩家老・大石内蔵助良雄と結婚
1701年:赤穂藩主・浅野長矩の江戸城内刃傷事件
赤穂藩取り潰し
1702年:内蔵助は将来のことを考え、りくと離縁
りくと子供は豊岡へ
12月赤穂義士の吉良家討ち入り
1703年:内蔵助など46義士切腹
1713年:三男大三郎が広島藩に仕官
りくも広島へ
1736年:広島で亡くなり、国泰寺に埋葬
その後、遺髪が豊岡に送られ、正福寺に遺髪塚建立
<丹波、但馬のお寺一覧>
(1)寺名:正福寺(しょうふくじ)<管理:香林会館>
(2)住所:兵庫県豊岡市日撫17
(3)宗派:曹洞宗 (4)開創:不詳
(5)本尊:
(6)訪問日:2019年6月25日

外観

大石りく像

本堂

平岩弓枝文学碑

大石りく遺髪塚

境内から円山川を望む