上波田阿弥陀堂・田村堂 (長野県松本市)
松本市西部にあって、梓川南岸の段丘上に位置する上波田地区は、
室町時代は城下町として、江戸時代には若澤寺の門前町として
栄えたといわれている。
その若澤寺は、奈良時代に開創されたと伝えられ、信濃日光と
呼ばれた大寺であったが、明治4年(1871年)の廃仏毀釈
によって廃寺となり、その仏像や堂宇は四散したり、破棄された。
その内、田村堂は若澤寺から、仁王門・仁王像・阿弥陀堂の本尊
は若澤寺塔頭・西光寺から移され、上波田阿弥陀堂周辺に安置された。
それ以外の関係する遺物も安置されている。
田村堂は室町時代末期の建立と考えられ、当初は厨子として
使用され、江戸時代に外部の堂宇として、坂上田村麻呂を祀って
いた。
現在は、阿弥陀堂の傍の覆屋に安置されている。
<長野県のお寺一覧>
(1)堂名:上波田阿弥陀堂・田村堂(かみはたあみだどう・たむらどう)
(2)住所:長野県松本市波田4749-1
(3)文化財
1)田村堂:重要文化財 室町時代末期
2)金剛力士像:県指定文化財 1322年
3)阿弥陀如来坐像:市指定文化財 江戸時代初期
4)線彫閻魔王坐像:市指定文化財 1574年
5)西光寺絵図:市指定文化財 1796年
6)若澤道供養碑:市指定文化財 1575年
7)若澤寺参道丁石:市指定文化財 1635年
8)訪問日:2018年10月8日

上波田地区

仁王門

仁王像

境内

若澤道供養碑

阿弥陀堂

若返り地蔵尊

丁石

田村堂覆屋

田村堂

田村堂

線彫閻魔王

室町時代は城下町として、江戸時代には若澤寺の門前町として
栄えたといわれている。
その若澤寺は、奈良時代に開創されたと伝えられ、信濃日光と
呼ばれた大寺であったが、明治4年(1871年)の廃仏毀釈
によって廃寺となり、その仏像や堂宇は四散したり、破棄された。
その内、田村堂は若澤寺から、仁王門・仁王像・阿弥陀堂の本尊
は若澤寺塔頭・西光寺から移され、上波田阿弥陀堂周辺に安置された。
それ以外の関係する遺物も安置されている。
田村堂は室町時代末期の建立と考えられ、当初は厨子として
使用され、江戸時代に外部の堂宇として、坂上田村麻呂を祀って
いた。
現在は、阿弥陀堂の傍の覆屋に安置されている。
<長野県のお寺一覧>
(1)堂名:上波田阿弥陀堂・田村堂(かみはたあみだどう・たむらどう)
(2)住所:長野県松本市波田4749-1
(3)文化財
1)田村堂:重要文化財 室町時代末期
2)金剛力士像:県指定文化財 1322年
3)阿弥陀如来坐像:市指定文化財 江戸時代初期
4)線彫閻魔王坐像:市指定文化財 1574年
5)西光寺絵図:市指定文化財 1796年
6)若澤道供養碑:市指定文化財 1575年
7)若澤寺参道丁石:市指定文化財 1635年
8)訪問日:2018年10月8日

上波田地区

仁王門

仁王像

境内

若澤道供養碑

阿弥陀堂

若返り地蔵尊

丁石

田村堂覆屋

田村堂

田村堂

線彫閻魔王