甘露寺 (三重県南伊勢町)
<南海トラフ巨大地震>が30年の間に発生する確率は70~80%といわれる
昨今、江戸時代1707年に発生した宝永地震がこれに匹敵する地震であった。
この宝永地震による津波で、現在の南伊勢町古和浦集落の85名が亡くなった
といわれ、その時に建てられた宝永津波供養碑<三界萬霊碑>が甘露寺に
残されている。
こうした供養碑を通して、巨大地震が発生した時の対処、また災害対策を
真剣に、個人レベルでも考え備えなければと。
古和浦湾の最奥に面して古和浦集落があり、その集落の山麓に建つのが
甘露寺で、1354年の開創と伝えられている。
白塀に囲まれ、門前には広場が広がり、背に山を抱く風景は、これぞ里の
お寺という風景である。
私は<三界萬霊碑>の撮影を忘れ、1944年東南海地震の犠牲になった
<津波供養宝塔>や<天保飢饉死疫亡者供養塔>に手を合わせた。
<三重県のお寺一覧>
(1)寺名:甘露寺(かんろじ)
(2)住所:三重県南伊勢町古和浦253
(3)山号:大雲山 (4)宗派:臨済宗妙心寺派
(5)開基:明徹光琮 (6)開創:1354年
(7)本尊:釈迦牟尼
(8)その他
1)古和文書:県指定文化財 南北朝時代
2)大般若経:県指定文化財 鎌倉時代
3)三界萬霊碑:県指定文化財 1707年
4)天保飢饉死疫亡者供養塔:町指定文化財 1853年
5)訪問日:2019年4月20日
古和浦湾
甘露寺遠景
全景
天保飢饉死疫亡者供養塔(左)
津波供養宝塔(右)
境内
観音堂と本堂
本堂
昨今、江戸時代1707年に発生した宝永地震がこれに匹敵する地震であった。
この宝永地震による津波で、現在の南伊勢町古和浦集落の85名が亡くなった
といわれ、その時に建てられた宝永津波供養碑<三界萬霊碑>が甘露寺に
残されている。
こうした供養碑を通して、巨大地震が発生した時の対処、また災害対策を
真剣に、個人レベルでも考え備えなければと。
古和浦湾の最奥に面して古和浦集落があり、その集落の山麓に建つのが
甘露寺で、1354年の開創と伝えられている。
白塀に囲まれ、門前には広場が広がり、背に山を抱く風景は、これぞ里の
お寺という風景である。
私は<三界萬霊碑>の撮影を忘れ、1944年東南海地震の犠牲になった
<津波供養宝塔>や<天保飢饉死疫亡者供養塔>に手を合わせた。
<三重県のお寺一覧>
(1)寺名:甘露寺(かんろじ)
(2)住所:三重県南伊勢町古和浦253
(3)山号:大雲山 (4)宗派:臨済宗妙心寺派
(5)開基:明徹光琮 (6)開創:1354年
(7)本尊:釈迦牟尼
(8)その他
1)古和文書:県指定文化財 南北朝時代
2)大般若経:県指定文化財 鎌倉時代
3)三界萬霊碑:県指定文化財 1707年
4)天保飢饉死疫亡者供養塔:町指定文化財 1853年
5)訪問日:2019年4月20日
古和浦湾
甘露寺遠景
全景
天保飢饉死疫亡者供養塔(左)
津波供養宝塔(右)
境内
観音堂と本堂
本堂