本廣寺 (石川県小松市粟津町)
浄土真宗の根本聖典<教行信証>は1224年親鸞聖人が撰述し、
これが浄土真宗の開宗としている。
現在残っている教行信証で重要なものは、親鸞聖人真筆の坂東本
(国宝)、1275年書写された西本願寺本(重文)、真仏上人
書写の高田本(重文)であるが、西本願寺本には次のような伝承
が残っている。
1474年蓮如上人の吉崎御坊が炎上した時、本光房了顕が燃え
盛る坊舎に飛び込んで、自分の腹を掻き割り、教行信証の証文類
をその中に納め、火災から守ったといわれるのが西本願寺本で、
<腹籠りの聖教>と呼ばれている。
吉崎御坊は1506年朝倉氏によって破却され、寺内町は消えて
いる。
江戸時代末期になって、本光房了顕の遺徳を偲んで、粟津町に
開創されたのが本廣寺(本来、本光寺とすべきであったが、近く
に同名のお寺があったことから)といわれている。
粟津温泉の街中にある。
<石川県のお寺一覧>
(1)寺名:本廣寺(ほんこうじ)
(2)住所:石川県小松市粟津町ワ68
(3)山号:乾山 (4)宗派:真宗大谷派
(5)開創:江戸時代末期 (6)本尊:阿弥陀如来
(7)訪問日:2018年5月5日
山門
本堂
周辺
これが浄土真宗の開宗としている。
現在残っている教行信証で重要なものは、親鸞聖人真筆の坂東本
(国宝)、1275年書写された西本願寺本(重文)、真仏上人
書写の高田本(重文)であるが、西本願寺本には次のような伝承
が残っている。
1474年蓮如上人の吉崎御坊が炎上した時、本光房了顕が燃え
盛る坊舎に飛び込んで、自分の腹を掻き割り、教行信証の証文類
をその中に納め、火災から守ったといわれるのが西本願寺本で、
<腹籠りの聖教>と呼ばれている。
吉崎御坊は1506年朝倉氏によって破却され、寺内町は消えて
いる。
江戸時代末期になって、本光房了顕の遺徳を偲んで、粟津町に
開創されたのが本廣寺(本来、本光寺とすべきであったが、近く
に同名のお寺があったことから)といわれている。
粟津温泉の街中にある。
<石川県のお寺一覧>
(1)寺名:本廣寺(ほんこうじ)
(2)住所:石川県小松市粟津町ワ68
(3)山号:乾山 (4)宗派:真宗大谷派
(5)開創:江戸時代末期 (6)本尊:阿弥陀如来
(7)訪問日:2018年5月5日
山門
本堂
周辺