河合寺 (大阪府河内長野市)

国道310号を挟んで広がる長野公園一帯は、かっての河合寺境内
であった。
河合寺は、643年皇極天皇の命により、蘇我入鹿が開創したと伝え、
平安時代には南河内三大名刹(観心寺、金剛寺、河合寺)の一寺として
大いに栄え、鎌倉時代には僧兵も多く抱えていたといわれている。
1332年頃、楠木正成と河合寺僧兵衆は、現在の奥河内さくら公園に
河合寺城を築き、西方の守りとしたが、1348年四条畷合戦で楠木正行が
敗れ、足利尊氏軍によって河合寺と河合寺城もろとも焼失している。
その後、織田信長によって寺領は減らされ、衰退していった。

現在は、再興され山の麓に本坊が、山の中腹に奥の院(本堂)
が建てられ古の面影を残し、府営長野公園と共に存在を示している。
通常非公開。奥の院へは公園の参道を利用。

<大阪府のお寺一覧>

(1)寺名:河合寺(かわいでら) 
(2)住所:大阪府河内長野市河合寺876
(3)山号:宝珠峰山 (4)宗派:真言宗御室派
(5)開基:蘇我入鹿 (6)開創:643年 
(7)本尊:千手観音
(8)その他
1)千手観音立像、不動明王立像、毘沙門天立像:重要文化財 藤原時代
2)持国天立像、多聞天立像:重要文化財 藤原時代
3)蔵王権現立像、役行者坐像、薬師如来立像:重要美術品
4)境内:府指定史跡

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              山の中腹奥の院

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                 山門

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                 本坊

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                 参道

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                 奥の院

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                 奥の院

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                奥の院から


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