栄久寺 (大阪府松原市)

松原市南部の住宅密集地に建つ栄久寺は、もとは真言宗観音寺と称したが、
明応年間(1492~1501年)蓮如上人に帰依し、浄土真宗栄久寺となっている。
石山本願寺と織田信長との石山合戦(1570~1580年)後、後に本願寺12世
となる教如上人が紀州雑賀に逃れて、栄久寺に宛てて消息文を送っている。
その消息文が残っており、河内では唯一の残された消息文となっている。

教如上人は、1602年徳川家康の策略によって本願寺が東西に分立した
折、東本願寺の初代となっている。
栄久寺は教如上人の影響もあり、東本願寺の末寺となっている。

<大阪府のお寺一覧>参照

(1)寺名:栄久寺(えいきゅうじ) (2)住所:大阪府松原市立部1-4-8
(3)山号:願成山 (4)宗派:真宗大谷派
(5)開創:不詳 (6)中興:1492~1501年 (7)本尊:阿弥陀如来
(8)その他
1)教如上人消息文:市指定文化財 1580年

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                        本堂

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