教興寺 (大阪府八尾市) 教興寺合戦

6世紀後半、崇仏派の蘇我馬子と排仏派の物部守屋の争いが激化し、
587年丁未の乱が発生し、蘇我側の聖徳太子は勝利を祈願するために、
秦河勝に命じて、588年教興寺を開創したと伝えられている。
ちなみに、この争いに勝利した聖徳太子は四天王寺を開創している。
平安時代には廃れ、鎌倉時代には再興されたが、1562年教興寺を
本拠とした畠山軍と三好軍が戦い(教興寺合戦)、畠山軍が敗れ、
教興寺も焼失している。
復活したのは江戸時代17世紀後半である。

かっての名刹の面影はなくなったが、地名として教興寺は残している。

<大阪府のお寺一覧>参照

(1)寺名:教興寺(きょうこうじ) (2)住所:大阪府八尾市教興寺7-21
(3)山号:獅子吼山 (4)宗派:真言律宗
(5)開基:秦河勝 (6)開創:588年 (7)本尊:弥勒菩薩
(8)その他
1)おおさか十三仏霊場第6番

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                        本堂

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                       クスノキ

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                        周辺

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