敬応寺 (大阪府枚方市) 寺内町
枚方市北部の招提地区は、かって招堤村と呼ばれ、戦国時代は
敬応寺の前身であった浄土真宗の招堤道場を中核とした寺内町
であった。
1543年地元領主が荒地を開拓し、蓮如上人の六男・蓮淳を
招いて念仏道場を建立し、それを中核とした寺内町を形成した。
しかし、豊臣秀吉と明智光秀との戦いにおいて、招堤村は光秀側
を支援したことから、1582年頃寺内町としての特権が奪われ、
寺内町として終了している。40年間の寺内町であった。
1621年以降に道場は敬応寺となっている。
現在は、住宅街となっているが、細い路地などに面影を感じる。
<大阪府のお寺一覧>参照
(1)寺名:敬応寺(けいおうじ) (2)住所:大阪府枚方市招堤元町3-16-37
(3)宗派:浄土真宗本願寺派
(4)開基:蓮淳 (5)開創:1543年 (6)本尊:阿弥陀如来
全景
本堂
太鼓楼
周辺
敬応寺の前身であった浄土真宗の招堤道場を中核とした寺内町
であった。
1543年地元領主が荒地を開拓し、蓮如上人の六男・蓮淳を
招いて念仏道場を建立し、それを中核とした寺内町を形成した。
しかし、豊臣秀吉と明智光秀との戦いにおいて、招堤村は光秀側
を支援したことから、1582年頃寺内町としての特権が奪われ、
寺内町として終了している。40年間の寺内町であった。
1621年以降に道場は敬応寺となっている。
現在は、住宅街となっているが、細い路地などに面影を感じる。
<大阪府のお寺一覧>参照
(1)寺名:敬応寺(けいおうじ) (2)住所:大阪府枚方市招堤元町3-16-37
(3)宗派:浄土真宗本願寺派
(4)開基:蓮淳 (5)開創:1543年 (6)本尊:阿弥陀如来
全景
本堂
太鼓楼
周辺