関昌寺 (長野県阿南町) 樹林の参道
長野県南端に位置する阿南町を南北に走る国道151号(遠州街道)の
富草地区山裾に樹林に覆われた参道が印象的な関昌寺が建つ。
下条村、阿南町はかって下条郷と呼ばれ、室町~戦国時代末期に
下条氏が支配していた。
1582年織田信長が伊那谷に侵攻した際、11代下条信正は亡くなり、
若き康長が12代目となり、1585年父の菩提を弔うために関昌寺を
開創したと伝えられている。
康長は若年ということもあり、一族内に内紛が起こり、徳川家康の
策略で下条氏は没落したといわれている。
関昌寺は永らく荒れていたが、近年整備され参道を歩む中に
かっての下条氏を想像させる。
<長野県のお寺一覧>
(1)寺名:関昌寺(かんしょうじ)
(2)住所:長野県阿南町富草4342
(3)山号:医王山 (4)宗派:曹洞宗
(5)開基:下条康長 (6)開創:1585年
(7)本尊:薬師如来
(8)その他
1)石燈籠:町指定文化財 1699年
2)寺叢(参道の樹林):町指定天然記念物
3)訪問日:2016年7月23日
参道
山門
石燈籠
境内へ
本堂

富草地区山裾に樹林に覆われた参道が印象的な関昌寺が建つ。
下条村、阿南町はかって下条郷と呼ばれ、室町~戦国時代末期に
下条氏が支配していた。
1582年織田信長が伊那谷に侵攻した際、11代下条信正は亡くなり、
若き康長が12代目となり、1585年父の菩提を弔うために関昌寺を
開創したと伝えられている。
康長は若年ということもあり、一族内に内紛が起こり、徳川家康の
策略で下条氏は没落したといわれている。
関昌寺は永らく荒れていたが、近年整備され参道を歩む中に
かっての下条氏を想像させる。
<長野県のお寺一覧>
(1)寺名:関昌寺(かんしょうじ)
(2)住所:長野県阿南町富草4342
(3)山号:医王山 (4)宗派:曹洞宗
(5)開基:下条康長 (6)開創:1585年
(7)本尊:薬師如来
(8)その他
1)石燈籠:町指定文化財 1699年
2)寺叢(参道の樹林):町指定天然記念物
3)訪問日:2016年7月23日
参道
山門
石燈籠
境内へ
本堂