西蓮寺 (福井県福井市東大味町)
東大味集落には、明智神社と西蓮寺がある。
明智神社とは、明智光秀を祀り、かっては明智光秀の屋敷があったと
言われている地であり、近くの西蓮寺には柴田勝家などの安堵状が
残っているお寺である。お互いに関連しているようだ。
明智光秀は斎藤道三に仕えていたが、1556年流浪の生活に入ったが、
いつしか越前守護大名・朝倉義景に召抱えられ、東大味の地に屋敷を
構えたといわれている。
東大味と朝倉義景一乗谷居館とは、朝倉街道で4kmほどの距離で
屋敷を構えるには適地であったのだろう。
10年ほどして朝倉氏の元を離れ、足利義昭に従い後に織田信長の
家臣となっている。
信長の越前一向一揆鎮圧や朝倉氏との戦いに際して、光秀は
越前にいた柴田勝家に東大味集落の安堵を依頼したといわれている。
それが西蓮寺に残る安堵状であろうと。
東大味集落の人々にとっては、明智光秀は大恩人なのである。
西蓮寺の開創については不詳であるが、15世紀後半に真盛上人
によって再興されている。
<福井県のお寺一覧>
(1)寺名:西蓮寺(さいれんじ)
(2)住所:福井県福井市東大味町37-4
(3)山号:普光山 (4)宗派:天台真盛宗
(5)開創:不詳 (6)中興:真盛上人 15世紀後半
(7)本尊:阿弥陀如来
(8)その他
1)西蓮寺文書(安堵状など):市指定文化財
2)訪問日:2016年5月21日
一乗谷朝倉氏遺跡
朝倉街道
西蓮寺山門
支笏石製地蔵尊
本堂
明智神社とは、明智光秀を祀り、かっては明智光秀の屋敷があったと
言われている地であり、近くの西蓮寺には柴田勝家などの安堵状が
残っているお寺である。お互いに関連しているようだ。
明智光秀は斎藤道三に仕えていたが、1556年流浪の生活に入ったが、
いつしか越前守護大名・朝倉義景に召抱えられ、東大味の地に屋敷を
構えたといわれている。
東大味と朝倉義景一乗谷居館とは、朝倉街道で4kmほどの距離で
屋敷を構えるには適地であったのだろう。
10年ほどして朝倉氏の元を離れ、足利義昭に従い後に織田信長の
家臣となっている。
信長の越前一向一揆鎮圧や朝倉氏との戦いに際して、光秀は
越前にいた柴田勝家に東大味集落の安堵を依頼したといわれている。
それが西蓮寺に残る安堵状であろうと。
東大味集落の人々にとっては、明智光秀は大恩人なのである。
西蓮寺の開創については不詳であるが、15世紀後半に真盛上人
によって再興されている。
<福井県のお寺一覧>
(1)寺名:西蓮寺(さいれんじ)
(2)住所:福井県福井市東大味町37-4
(3)山号:普光山 (4)宗派:天台真盛宗
(5)開創:不詳 (6)中興:真盛上人 15世紀後半
(7)本尊:阿弥陀如来
(8)その他
1)西蓮寺文書(安堵状など):市指定文化財
2)訪問日:2016年5月21日
一乗谷朝倉氏遺跡
朝倉街道
西蓮寺山門
支笏石製地蔵尊
本堂