霊松寺 (愛知県北名古屋市)
豊臣秀吉政権下で、五奉行筆頭であった浅野長政の生誕地が霊松寺の地
であり、長政誕生(1547年)後の1573年薬師寺として開創され
ている。
この薬師寺が1800年霊松寺となっている。
浅野長政は浅野長勝の養子となっているが、秀吉の正室・ねねも長勝の
養女であった。
長政は秀吉の子飼の重臣で五奉行筆頭として大いに活躍している。
1600年関ヶ原の戦いでは、家康に従いその後、大名となり明治維新
まで浅野氏は大名であった。
その系統の中にあって、忠臣蔵の浅野内匠頭も4代後の子孫である。
<愛知県のお寺一覧>
(1)寺名:霊松寺(れいしょうじ)
(2)住所:愛知県北名古屋市北野天神35
(3)山号:天龍山 (4)宗派:曹洞宗
(5)開創:1573年 (6)本尊:薬師如来
(7)その他
1)千手観音像(画):市指定文化財 室町時代初期
2)訪問日:2015年10月12日
外観
本堂
標石
であり、長政誕生(1547年)後の1573年薬師寺として開創され
ている。
この薬師寺が1800年霊松寺となっている。
浅野長政は浅野長勝の養子となっているが、秀吉の正室・ねねも長勝の
養女であった。
長政は秀吉の子飼の重臣で五奉行筆頭として大いに活躍している。
1600年関ヶ原の戦いでは、家康に従いその後、大名となり明治維新
まで浅野氏は大名であった。
その系統の中にあって、忠臣蔵の浅野内匠頭も4代後の子孫である。
<愛知県のお寺一覧>
(1)寺名:霊松寺(れいしょうじ)
(2)住所:愛知県北名古屋市北野天神35
(3)山号:天龍山 (4)宗派:曹洞宗
(5)開創:1573年 (6)本尊:薬師如来
(7)その他
1)千手観音像(画):市指定文化財 室町時代初期
2)訪問日:2015年10月12日
外観
本堂
標石