龍徳寺 (岐阜県池田町)
龍徳寺は、弘仁年間(810~824年)に伝教大師最澄が雲門寺を
開創したのが始まりと伝えられている。
1334年摂津池田城(大阪府池田市)を築城した城主・池田教依が
天皇の勅で美濃池田庄に下向し、地域の開発に携わり美濃池田庄の
郷司となって、雲門寺を再興したといわれている。
摂津池田氏はその後、摂津と美濃池田氏に分流し、摂津池田氏は戦国
時代末期に滅びているが、美濃池田氏は織田信長・豊臣秀吉・徳川
家康に仕え、江戸時代には岡山藩、鳥取藩などの藩主となっている。
特に、池田恒興は信長・秀吉の重臣として活躍したが、1584年
小牧・長久手の戦いで戦死している。
その墓は龍徳寺の東にある塔頭・養源院跡にある。
龍徳寺は田畑の中に、こんもりとした森の中に佇んでいる。
一つの風景を造っている。
<岐阜県のお寺一覧>
(1)寺名:龍徳寺(りゅうとくじ)
(2)住所:岐阜県池田町本郷1343-1
(3)山号:雲門山 (4)宗派:臨済宗妙心寺派
(5)開基:伝教大師最澄 (6)開創:810~824年
(7)本尊:釈迦牟尼
(8)その他
1)池田恒興・元助父子の墓:町指定史跡
2)稲葉一族・池田恒利の墓:町指定史跡
3)国枝一族の墓:市指定史跡
4)訪問日:2015年5月5日
外観
参道
本堂
池田恒興墓
開創したのが始まりと伝えられている。
1334年摂津池田城(大阪府池田市)を築城した城主・池田教依が
天皇の勅で美濃池田庄に下向し、地域の開発に携わり美濃池田庄の
郷司となって、雲門寺を再興したといわれている。
摂津池田氏はその後、摂津と美濃池田氏に分流し、摂津池田氏は戦国
時代末期に滅びているが、美濃池田氏は織田信長・豊臣秀吉・徳川
家康に仕え、江戸時代には岡山藩、鳥取藩などの藩主となっている。
特に、池田恒興は信長・秀吉の重臣として活躍したが、1584年
小牧・長久手の戦いで戦死している。
その墓は龍徳寺の東にある塔頭・養源院跡にある。
龍徳寺は田畑の中に、こんもりとした森の中に佇んでいる。
一つの風景を造っている。
<岐阜県のお寺一覧>
(1)寺名:龍徳寺(りゅうとくじ)
(2)住所:岐阜県池田町本郷1343-1
(3)山号:雲門山 (4)宗派:臨済宗妙心寺派
(5)開基:伝教大師最澄 (6)開創:810~824年
(7)本尊:釈迦牟尼
(8)その他
1)池田恒興・元助父子の墓:町指定史跡
2)稲葉一族・池田恒利の墓:町指定史跡
3)国枝一族の墓:市指定史跡
4)訪問日:2015年5月5日
外観
参道
本堂
池田恒興墓