大光院 (京都市北区) 大徳寺塔頭 豊臣秀長の菩提寺
1591年大和郡山城で没した豊臣秀長(秀吉の弟)は、現在の大和郡山市
大納言塚に葬られ、その菩提寺は大納言塚近くの大光院であった。
大光院は、秀長の子・秀保が1592年頃に開創している。
1595年豊臣秀保が亡くなり、秀長の家系が途絶え、秀長の家老であった
藤堂高虎が大光院を大徳寺境内に移している。
その時に、秀長の分骨を大徳寺大光院に祀っている。
豊臣秀長は秀吉政権の屋台骨であっただけに、死後の秀吉政権に
とっては大きな痛手であった。
大光院は通常非公開である。
<京都市北区のお寺一覧>
(1)寺名:大光院(だいこういん)
(2)住所:京都市北区紫野大徳寺町92
(3)宗派:臨済宗大徳寺派大本山大徳寺の塔頭
(4)開山:古渓宗陳 (5)開基:豊臣秀保
(6)開創:1592年頃
(7)本尊:釈迦牟尼
土塀
表門
参道
大納言塚(大和郡山市)
大納言塚に葬られ、その菩提寺は大納言塚近くの大光院であった。
大光院は、秀長の子・秀保が1592年頃に開創している。
1595年豊臣秀保が亡くなり、秀長の家系が途絶え、秀長の家老であった
藤堂高虎が大光院を大徳寺境内に移している。
その時に、秀長の分骨を大徳寺大光院に祀っている。
豊臣秀長は秀吉政権の屋台骨であっただけに、死後の秀吉政権に
とっては大きな痛手であった。
大光院は通常非公開である。
<京都市北区のお寺一覧>
(1)寺名:大光院(だいこういん)
(2)住所:京都市北区紫野大徳寺町92
(3)宗派:臨済宗大徳寺派大本山大徳寺の塔頭
(4)開山:古渓宗陳 (5)開基:豊臣秀保
(6)開創:1592年頃
(7)本尊:釈迦牟尼
土塀
表門
参道
大納言塚(大和郡山市)