定光寺 (愛知県瀬戸市) 尾張徳川初代藩主・徳川義直の菩提寺

徳川家康には多くの側室がいたが、高齢になってからの側室を<中の三人衆>
と呼ばれていたそうだが、その中の一人<お亀>を側室にしたのが1594年
53歳の時である。
お亀は京都・石清水八幡宮の社人の娘で既婚者であったが、伏見城で給仕
の折に家康の目にとまり側室となり、1600年家康の九男として
五郎太丸(徳川義直)が誕生している。
1610年11歳で徳川義直は初代尾張藩主となり、1615年名古屋城主と
なっている。
義直は名古屋の基盤を築き、名君と呼ばれた。
義直が狩猟の折に、定光寺に立ち寄り自らの墓を当寺に定め、1650年
亡くなると、翌年から3年かけて源敬公(徳川義直)廟が完成している。

定光寺は1336年に開創され、江戸時代には尾張徳川家の菩提寺として
栄えた。
現在は、定光寺公園なども含め桜・紅葉の名所となっている。

<全国のお寺総覧>参照

(1)寺名:定光寺(じょうこうじ) 
(2)住所:愛知県瀬戸市定光寺町373
(3)山号:応夢山 (4)宗派:臨済宗妙心寺派
(5)開山:覚源禅師 (6)開創:1336年 
(7)本尊:地蔵菩薩
(8)その他
1)本堂(無為殿):重要文化財 1532年再建 杮葺
2)源敬公(徳川義直)廟7棟:重要文化財 1651~52年
3)直入橋:市指定文化財 1653年
4)太刀銘助重:重要文化財 鎌倉時代中期
  太刀銘守家:重要文化財 鎌倉時代中期
5)祠堂帳:市指定文化財 室町時代
6)訪問日:2007年7月16日


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                 山門

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                 境内

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                 境内

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                 本堂

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                 本堂

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                 観音堂

<源敬公廟所>

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                 入口

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                  道

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                獅子の門

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                 龍の門

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                 築地塀

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                 廟所

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                 焼香殿

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                 宝蔵

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                 唐門

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                徳川義直墓

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                殉死者墓


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