光明院 (和歌山県高野町高野山) 高野山子院

豊臣秀吉の重臣・蜂須賀小六(正勝)の嫡子・蜂須賀家政は、1600年の
関ヶ原の戦いにおいて石田三成の支援要請を断り、剃髪して高野山の
光明院に入った。
その後、徳川家康に仕え徳島藩祖として徳島発展の基礎を築いている。
こうしたことから、蜂須賀家と光明院は深い繋がりができ、蜂須賀家の
高野山菩提寺となっている。
徳島においては興源寺に墓所があり菩提寺となっている。

光明院は、1183年木曽義仲の襲来によって亡くなった円恵法親王
(後白河法皇の皇子)の菩提を弔うために創建された長史坊が
始まりで、1352年光明院となっている。

<高野山のお寺一覧>

(1)寺名:光明院(こうみょういん) 
(2)住所:和歌山県高野町高野山493
(3)宗派:高野山真言宗 高野山子院 宿坊
(4)開山:行清 (5)開創:1183年 
(6)本尊:阿弥陀如来
(7)訪問日:2008年7月16日


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                 参道

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                 山門

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                 玄関


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