養徳院 (京都市北区) 大徳寺の塔頭
室町幕府第2代将軍・足利義詮の四男で3代将軍・義満の
同母弟である足利満詮は、陰ながら兄の義満を支え人望が
あったといわれている。
その満詮が亡き夫人・善室の菩提を弔うために、応永年間
(1394~1427年)祇園近くに開創したと伝えられ
る妙雲院が養徳院の始まりといわれている。
明応年間(1492~1501年)に現在の大徳寺境内に
移っている。
養徳院は通常非公開のひっそりとした塔頭である。
<京都市北区のお寺一覧>
(1)寺名:養徳院(ようとくいん)
(2)住所:京都市北区紫野大徳寺町85
(4)宗派:臨済宗大徳寺派
(5)開基:足利満詮 (6)開創:1394~1427年
(7)本尊:釈迦牟尼
(8)その他
1)足利満詮像(画):重要文化財 室町時代
中達磨魔左右臨済徳山像(画)3幅:重要文化財 室町時代
表門
境内
境内
同母弟である足利満詮は、陰ながら兄の義満を支え人望が
あったといわれている。
その満詮が亡き夫人・善室の菩提を弔うために、応永年間
(1394~1427年)祇園近くに開創したと伝えられ
る妙雲院が養徳院の始まりといわれている。
明応年間(1492~1501年)に現在の大徳寺境内に
移っている。
養徳院は通常非公開のひっそりとした塔頭である。
<京都市北区のお寺一覧>
(1)寺名:養徳院(ようとくいん)
(2)住所:京都市北区紫野大徳寺町85
(4)宗派:臨済宗大徳寺派
(5)開基:足利満詮 (6)開創:1394~1427年
(7)本尊:釈迦牟尼
(8)その他
1)足利満詮像(画):重要文化財 室町時代
中達磨魔左右臨済徳山像(画)3幅:重要文化財 室町時代
表門
境内

境内