厭離庵 (京都市右京区) 紅葉の小倉山荘跡
京都嵯峨野の小倉山(286m)東麓にあり、祇王寺と清涼寺の
中間地の住宅地に樹々に覆われた厭離庵がある。
この地は、百人一首の選者・藤原定家の小倉山荘の跡地で、この
地で百人一首を選したといわれている。
二尊院にも小倉山荘跡があり、諸説あり。
藤原定家の歌
<小倉山しくれの頃の朝な朝な昨日はうすき四方の紅葉葉>
その後、この山荘は荒廃したが、冷泉家が修復し、1772年
厭離庵としてお寺を開創している。
明治維新後、再び荒廃したが1910年に再興されている。
庭園は紅葉で覆われ、境内全体を紅く染める風景は名庭の一つに
数えられている。
特に、苔むす庭に落ちたもみじは<散りもみじ>として風情を
一層高めている。
通常は非公開であるが、紅葉時期に公開されている。
境内は住宅地に囲まれ、細い参道を見つけるのが一苦労であるが、
公開時期には参道入口に立て看板が設けられている。
<京都市右京区のお寺一覧>
(1)寺名:厭離庵(えんりあん)
(2)住所:京都市右京区嵯峨二尊院門前善光寺山町2
(3)山号:如意山 (4)宗派:臨済宗天龍寺派
(5)開山:霊源慧桃 (6)開創:1772年
(7)本尊:如意輪観音
(8)訪問日:2015年11月29日

参道

山門


茶室

境内



本堂

本堂天井絵


定家塚


歌碑




書院


中間地の住宅地に樹々に覆われた厭離庵がある。
この地は、百人一首の選者・藤原定家の小倉山荘の跡地で、この
地で百人一首を選したといわれている。
二尊院にも小倉山荘跡があり、諸説あり。
藤原定家の歌
<小倉山しくれの頃の朝な朝な昨日はうすき四方の紅葉葉>
その後、この山荘は荒廃したが、冷泉家が修復し、1772年
厭離庵としてお寺を開創している。
明治維新後、再び荒廃したが1910年に再興されている。
庭園は紅葉で覆われ、境内全体を紅く染める風景は名庭の一つに
数えられている。
特に、苔むす庭に落ちたもみじは<散りもみじ>として風情を
一層高めている。
通常は非公開であるが、紅葉時期に公開されている。
境内は住宅地に囲まれ、細い参道を見つけるのが一苦労であるが、
公開時期には参道入口に立て看板が設けられている。
<京都市右京区のお寺一覧>
(1)寺名:厭離庵(えんりあん)
(2)住所:京都市右京区嵯峨二尊院門前善光寺山町2
(3)山号:如意山 (4)宗派:臨済宗天龍寺派
(5)開山:霊源慧桃 (6)開創:1772年
(7)本尊:如意輪観音
(8)訪問日:2015年11月29日

参道

山門


茶室

境内



本堂

本堂天井絵


定家塚


歌碑




書院
