山城国分寺跡 (京都府木津川市加茂町)

聖武天皇は740年、木津川の北、現在の木津川市加茂町例幣の地に
恭仁京(くにきょう)を造り都とし、平城京から遷都した。
744年難波京に遷都し、745年に平城京へ戻っている。
741年聖武天皇は詔を発し、全国の国に国分寺を建立していく。
748年恭仁京の大極殿を山城国分寺の金堂として、南東に七重塔が建立
され山城国分寺は開創されている。
この山城国分寺がいつ廃寺となったのか。
あるいは、何時どこかに移転したのか。
京都・東寺に伝わる国宝・東宝記(東寺の歴史などの記録)には、東寺の
地には山城国分寺があったと記している。東寺の創建は796年であるから
山城国分寺はどうなったのか。

加茂町の恭仁宮跡(山城国分寺跡)には金堂(大極殿)の礎石と七重塔の
礎石が残され、整備された公園となっている。

<京都府南部のお寺一覧>参照

(1)寺名:山城国分寺跡(やましろこくぶんじあと)
(2)住所:京都府木津川市加茂町例幣
(3)その他
1)恭仁宮跡(山城国分寺跡):国指定史跡

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                       木津川
               <川の右手700m程に恭仁宮跡>

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                    大極殿跡(金堂跡)

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                       大極殿跡

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                        標石

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                      大極殿礎石

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                       恭仁宮跡

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                       七重塔跡

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                       塔礎石

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