持宝院 (岡山県岡山市北区) 秀吉の本陣跡

1582年4月、羽柴秀吉は備中高松城を攻めるために、高松城の
北方にある龍王山に本陣を構え、5月には石井山中腹にある持宝院
に本陣を移し、高松城の水攻めに箸手している。
本能寺の変後、6月に入って毛利方と和睦をかわし、中国大返しで
明智光秀を討っている。
持宝院はその後、山麓に再興されている。

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                案内図

2備中高松城跡(33-1236)持宝院地図1 (3).JPG
               備中高松城跡

3城跡(33-1236)持宝院地図1 (2).JPG
               備中高松城跡

5本丸跡(33-1236)持宝院地図1 (6).JPG
                 本丸跡

4清水宗治首塚(33-1236)持宝院地図1 (5).JPG
              城主清水宗治首塚

6石井山(33-1236)持宝院地図1 (2)1.JPG
                 石井山

持宝院の<文英様石仏>は吉備固有の石仏で、十一面観音が
線彫りされ、1545年の造立で福成寺の銘がある。

<岡山県のお寺一覧>

(1)寺名:持宝院(じほういん) 
(2)住所:岡山県岡山市北区立田835
(3)山号:経王山 (4)宗派:真言宗御室派
(5)開創:不詳 (6)本尊:?
(7)訪問日:2014年7月29日


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                持宝院全景

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                文英様石仏


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