寂照寺 (三重県伊勢市) 千姫の菩提寺
徳川第2代将軍・徳川秀忠の娘・千姫(1597~1666年)は、政略により
1603年豊臣秀頼と結婚し仲睦じく暮らしたが、1615年大坂の陣で
大坂城が落城する時に助け出され、1616年桑名藩主・本多忠政の
嫡男・忠刻と再婚する。
その後、姫路へ移るが、1626年忠刻が亡くなると出家して天樹院となり
江戸城へ入っている。
1666年に亡くなり、石川伝通院に葬られている。
1677年伊勢神宮を崇敬した千姫を弔うために、知恩院住職・寂照上人
によって寂照寺が開創され、千姫の位牌と遺物が祀られている。
その後、お寺は衰退したが、1774年月僊上人によって再興されている。
月僊は画僧であり、自らの絵画を売って再興の資金とし、また社会福祉
にも貢献している。
<三重県のお寺一覧>
(1)寺名:寂照寺(じゃくしょうじ)
(2)住所:三重県伊勢市中之町101
(3)山号:栄松山 (4)宗派:浄土宗
(5)開山:寂照知鑑 (6)開創:1677年
(7)中興:月僊 1774年 (8)本尊:阿弥陀如来
(9)その他
1)諸尊仏龕:重要文化財 中国唐時代7世紀
2)観音堂、金毘羅堂、山門:国登録文化財 江戸時代
3)経蔵:県指定文化財 江戸時代
4)聖観音立像:県指定文化財 鎌倉時代
5)富士の図、涅槃図:市指定文化財 月僊筆 江戸時代
6)一切経:市指定文化財 江戸時代
7)訪問日:2014年5月25日
山門
本堂
月僊上人像
経蔵
金毘羅堂
観音堂
1603年豊臣秀頼と結婚し仲睦じく暮らしたが、1615年大坂の陣で
大坂城が落城する時に助け出され、1616年桑名藩主・本多忠政の
嫡男・忠刻と再婚する。
その後、姫路へ移るが、1626年忠刻が亡くなると出家して天樹院となり
江戸城へ入っている。
1666年に亡くなり、石川伝通院に葬られている。
1677年伊勢神宮を崇敬した千姫を弔うために、知恩院住職・寂照上人
によって寂照寺が開創され、千姫の位牌と遺物が祀られている。
その後、お寺は衰退したが、1774年月僊上人によって再興されている。
月僊は画僧であり、自らの絵画を売って再興の資金とし、また社会福祉
にも貢献している。
<三重県のお寺一覧>
(1)寺名:寂照寺(じゃくしょうじ)
(2)住所:三重県伊勢市中之町101
(3)山号:栄松山 (4)宗派:浄土宗
(5)開山:寂照知鑑 (6)開創:1677年
(7)中興:月僊 1774年 (8)本尊:阿弥陀如来
(9)その他
1)諸尊仏龕:重要文化財 中国唐時代7世紀
2)観音堂、金毘羅堂、山門:国登録文化財 江戸時代
3)経蔵:県指定文化財 江戸時代
4)聖観音立像:県指定文化財 鎌倉時代
5)富士の図、涅槃図:市指定文化財 月僊筆 江戸時代
6)一切経:市指定文化財 江戸時代
7)訪問日:2014年5月25日
山門
本堂
月僊上人像
経蔵
金毘羅堂
観音堂