城福寺 (福井県越前市) <名勝>庭園
1159年平治の乱で平清盛は源氏に勝利し、翌年13歳の源頼朝
は捕まるが、清盛の継母であり平忠盛の正室である池禅尼が清盛に、
頼朝の助命を嘆願し、頼朝は伊豆へ流罪となっている。
後に、源氏が平家を滅ぼした後も、頼朝は池禅尼の恩を忘れず、
池禅尼の実の子・頼盛を優遇し、池一族を優遇している。
その頼盛の子・保盛が1207年に平家一族の菩提を弔うために
開創したのが城福寺である。
代々の住職は池氏である。
以後、池禅尼の関係から源氏の一族が城福寺を訪れることも多く
あったといわれている。
庭園は元禄年間(1688~1704年)に作庭された借景式
枯山水庭園で、日野山系を借景とし、一面の苔が海を表している。
庭園に山の表現となっている柊(ヒイラギ)は非常に珍しい大木である。
<福井県のお寺一覧>
(1)寺名:城福寺(じょうふくじ)
(2)住所:福井県越前市五分市町11-26
(3)山号:真柄山 (4)宗派:真宗出雲路派
(5)開基:池保盛 (6)開創:1207年
(7)本尊:阿弥陀如来
(8)その他
1)庭園:国指定名勝 元禄年間 枯山水
2)ヒイラギ:市指定天然記念物 推定樹齢300年
3)訪問日:2015年4月26日
庭園
全景
参道
山門
本堂
花筐の桜
庭園
ヒイラギ
太鼓楼
は捕まるが、清盛の継母であり平忠盛の正室である池禅尼が清盛に、
頼朝の助命を嘆願し、頼朝は伊豆へ流罪となっている。
後に、源氏が平家を滅ぼした後も、頼朝は池禅尼の恩を忘れず、
池禅尼の実の子・頼盛を優遇し、池一族を優遇している。
その頼盛の子・保盛が1207年に平家一族の菩提を弔うために
開創したのが城福寺である。
代々の住職は池氏である。
以後、池禅尼の関係から源氏の一族が城福寺を訪れることも多く
あったといわれている。
庭園は元禄年間(1688~1704年)に作庭された借景式
枯山水庭園で、日野山系を借景とし、一面の苔が海を表している。
庭園に山の表現となっている柊(ヒイラギ)は非常に珍しい大木である。
<福井県のお寺一覧>
(1)寺名:城福寺(じょうふくじ)
(2)住所:福井県越前市五分市町11-26
(3)山号:真柄山 (4)宗派:真宗出雲路派
(5)開基:池保盛 (6)開創:1207年
(7)本尊:阿弥陀如来
(8)その他
1)庭園:国指定名勝 元禄年間 枯山水
2)ヒイラギ:市指定天然記念物 推定樹齢300年
3)訪問日:2015年4月26日
庭園
全景
参道
山門
本堂
花筐の桜
庭園
ヒイラギ
太鼓楼