赤松院 (和歌山県高野町高野山) 高野山子院

1331年後醍醐天皇が2度目の鎌倉幕府倒幕運動・元弘の乱を起こすと、
天台宗僧侶であった後醍醐天皇の皇子・護良親王は還俗し、播磨守護の
赤松円心・則祐らと共に、十津川・吉野・高野山などを転々として2年に
及ぶ戦いを行い、京の六波羅探題を滅ぼしている。
その際、護良親王などが高野山に在住したのが赤松院である。
赤松院はそれまで山本坊であったが、赤松円心が赤松院として再興
し、赤松一族の菩提寺としている。

赤松院は923年山本坊として開創されている。
奥の院に近く、宿坊を経営している。

<高野山のお寺一覧>

(1)寺名:赤松院(あかまついん) 
(2)住所:和歌山県高野町高野山571
(3)宗派:高野山真言宗総本山金剛峯寺の子院
(4)開山:聖快阿闍梨 (5)開創:923年
(6)中興:1331年 赤松円心 (7)本尊:十一面観音
(8)その他
1)金銅宝相華文線刻蓮華形磬:重要文化財 平安時代
2)訪問日:2008年7月16日


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                境内入口

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                 仁王門

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                 玄関

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                 本堂


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