遍照光院 (和歌山県高野町高野山) 高野山子院
世界遺産の一部として指定されている<高野山町石>は、一町
(約109m)毎に奥の院霊廟から麓の慈尊院まで26kmの
道中に216基の卒塔婆石塔が建っている。
平安時代に建てられた頃は木製の卒塔婆であったといわれ、損傷
が激しいことから、1265年頃遍照光院の住職が石造卒塔婆の
建立を発願し、1285年頃完成したといわれている。
現在も150本ほどが当時の町石と考えられている。
遍照光院は弘法大師空海の開創と伝えられ、白河上皇が高野山
行幸の際に堂宇が建立され、上皇の宿舎となっている。
本尊は柿不動と呼ばれる不動明王であり、空海が自ら刻んだと
伝えられる。
大仏師・快慶作の阿弥陀如来立像が共に本堂に祀られている。
<高野山のお寺一覧>
(1)寺名:遍照光院(へんじょうこういん)
(2)住所:和歌山県高野町高野山575
(3)宗派:高野山真言宗 高野山子院(宿坊)
(4)開基:弘法大師空海 (5)開創:平安時代初期
(6)本尊:不動明王
(7)その他
1)阿弥陀如来立像:重要文化財 鎌倉時代 快慶作 像高82cm
多聞天・持国天立像:重要文化財 鎌倉時代
2)山水人物図 10面:国宝 江戸時代 池大雅筆
商山四晧、虎渓三笑図:重要文化財 桃山時代
菊図:重要文化財 室町時代
一字金輪曼荼羅図:重要文化財 1220年
不動明王二童子像(画):県指定文化財 1387年
3)訪問日:2008年7月16日
町石
山門
玄関
本堂

(約109m)毎に奥の院霊廟から麓の慈尊院まで26kmの
道中に216基の卒塔婆石塔が建っている。
平安時代に建てられた頃は木製の卒塔婆であったといわれ、損傷
が激しいことから、1265年頃遍照光院の住職が石造卒塔婆の
建立を発願し、1285年頃完成したといわれている。
現在も150本ほどが当時の町石と考えられている。
遍照光院は弘法大師空海の開創と伝えられ、白河上皇が高野山
行幸の際に堂宇が建立され、上皇の宿舎となっている。
本尊は柿不動と呼ばれる不動明王であり、空海が自ら刻んだと
伝えられる。
大仏師・快慶作の阿弥陀如来立像が共に本堂に祀られている。
<高野山のお寺一覧>
(1)寺名:遍照光院(へんじょうこういん)
(2)住所:和歌山県高野町高野山575
(3)宗派:高野山真言宗 高野山子院(宿坊)
(4)開基:弘法大師空海 (5)開創:平安時代初期
(6)本尊:不動明王
(7)その他
1)阿弥陀如来立像:重要文化財 鎌倉時代 快慶作 像高82cm
多聞天・持国天立像:重要文化財 鎌倉時代
2)山水人物図 10面:国宝 江戸時代 池大雅筆
商山四晧、虎渓三笑図:重要文化財 桃山時代
菊図:重要文化財 室町時代
一字金輪曼荼羅図:重要文化財 1220年
不動明王二童子像(画):県指定文化財 1387年
3)訪問日:2008年7月16日
町石
山門
玄関
本堂