盛泉寺 (大阪府守口市) 守口東御坊

守口西御坊と呼ばれる難宗寺から1606年、本願寺東西分離の影響を受けて
本尊を引き継いで盛泉寺が開創され、守口東御坊と呼ばれた。
この時期には、各地の浄土真宗のお寺が東西に分離する現象が見られる。

1867年徳川幕府が終焉し戊辰戦争が始まったが、1868年大阪遷都の
含みを持った明治天皇の大阪行幸があり、内侍所(三種の神器の鏡を安置
する処)として盛泉寺、行在所(天皇宿泊所)として難宗寺が1日役割を
果たしている。その後、天皇は大阪北御堂で40数日滞在し、京都へ
戻っている。
江戸城無血開城で東京に都が移った。大阪遷都の案は崩れ去ったのである。

<大阪府のお寺一覧>参照

(1)寺名:盛泉寺(じょうせんじ) (2)住所:大阪府守口市浜町1-2-6
(3)宗派:真宗大谷派 (4)開基:教如 
(5)開創:1606年 (6)本尊:阿弥陀如来

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                        山門

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                        標石

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                        本堂

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