来迎寺 (福井県敦賀市) 水戸天狗党

江戸時代末期、尊皇攘夷の嵐が吹く中で、その先鋒の一つであった水戸藩
の天狗党は、1865年京へ西進の途次、越前で幕府軍の前に投降し、
リーダー・武田耕雲斎など353人が来迎寺で斬首されている。
この2年後には徳川幕府は崩壊し明治政府が誕生している。
明治時代になり、水戸天狗党の名誉も回復され、来迎寺の裏手に353名の
墓所が造られている。
天狗党411柱を祀る松原神社も近くにある。

来迎寺は1387年に開創され、16世紀末には敦賀城主・大谷吉継の
帰依を受け、関ヶ原の戦い前に来迎寺に預けたといわれる腰高障子が
残されている。
また、敦賀城の中門が来迎寺の山門として移されている。
来迎寺は敦賀においては大寺である。

<福井県のお寺一覧>参照

(1)寺名:来迎寺(らいごうじ) (2)住所:福井県敦賀市松島町2-5-32
(3)山号:岡見山 (4)宗派:時宗
(5)開山:国阿 (6)開創:1387年 (7)本尊:阿弥陀如来
(8)その他
1)腰高障子:県指定文化財 桃山時代
2)観音像(画):市指定文化財
3)参考
  武田耕雲斎等墓:国指定史跡

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                        外観

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                        参道

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                        山門

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                        本堂

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                     武田耕雲斎墓所

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