不動院 (和歌山県高野町高野山) 美福門院御陵

鳥羽天皇皇后の美福門院(1117~60年)は平清盛が台頭する契機となった
保元・平治の乱(朝廷内の権力争いが因)に大きく関わり絶大な影響力を持ち、
鳥羽院の所領の多くを引き継ぎ政治・経済面でその後も影響力が及んだ。
美福門院の遺命により高野山菩提心院に葬られた。
女人禁制の高野山とあって問題もあったといわれている。
高野山に庵を結んでいた西行が納骨に立会い歌を残している。
 <けふや君おほふ五の雲はれて心の月をみがきいづらむ>

不動院は、平安時代前期に嵯峨天皇の皇子が開創した菩提心院の坊舎の
一つであったが、三度の火災により不動院だけが残っている。
山階宮家の菩提寺でもある。

<高野山のお寺一覧>

(1)寺名:不動院(ふどういん) 
(2)住所:和歌山県高野町高野山456
(3)宗派:高野山真言宗総本山 金剛峯寺の子院
(4)開山:済高僧正 (5)開創:907年 
(6)本尊:不動明王
(7)その他
1)宿坊
2)書院:県指定文化財 桃山時代
3)銅造阿弥陀三尊像:重要文化財 鎌倉時代
4)訪問日:2008年7月16日


画像
                 参道

画像
                 山門

画像
               美福門院御陵

画像
                 境内

画像
                 書院

画像
                 本堂


この記事へのトラックバック