建中寺 (愛知県名古屋市東区) 尾張徳川家の菩提寺
徳川御三家の筆頭・尾張徳川家の初代藩主・徳川義直(家康の九男)が
1650年に亡くなると、2代藩主・光友が義直の菩提を弔うために
1651年建中寺を開創している。
以後、建中寺は尾張徳川家の菩提寺として続いている。
なお、義直の廟所は遺命により瀬戸市・定光寺に建造されている。

参道
天明の大火(1785年)により多くの堂宇が焼失し再建されているが、
明治時代以降、特に第2次大戦後の区画整理などにより境内は大幅に
縮小し公園などになっている。
しかし、総門から三門へ至る旧参道(公園)などから往時の偉容が
伺い知れる。
伽藍のほとんどが県や市の文化財に指定され、大戦の惨禍からは
逃れている。
<名古屋市のお寺総覧>
(1)寺名:建中寺(けんちゅうじ)
(2)住所:愛知県名古屋市東区筒井1-7-57
(3)山号:徳興山 (4)宗派:浄土宗
(5)開山:成誉廓呑 (6)開基:徳川光友
(7)開創:1651年 (8)本尊:阿弥陀如来
(9)その他
1)伽藍
総門:市指定文化財 1652年
三門:市指定文化財 1652年
本堂:市指定文化財 1787年
鐘楼:市指定文化財 1787年
経蔵:市指定文化財 1828年
開山堂:市指定文化財 1786年
徳川家霊廟:県指定文化財 1786年
徳川光友廟:市指定文化財 1701年
2)訪問日:2013年4月27日

境内図

総門

三門

三門

本堂



境内

左に不動堂 右に開山堂


境内

境内

庚申像


徳川光友廟

鐘楼

経蔵

書院
1650年に亡くなると、2代藩主・光友が義直の菩提を弔うために
1651年建中寺を開創している。
以後、建中寺は尾張徳川家の菩提寺として続いている。
なお、義直の廟所は遺命により瀬戸市・定光寺に建造されている。

参道
天明の大火(1785年)により多くの堂宇が焼失し再建されているが、
明治時代以降、特に第2次大戦後の区画整理などにより境内は大幅に
縮小し公園などになっている。
しかし、総門から三門へ至る旧参道(公園)などから往時の偉容が
伺い知れる。
伽藍のほとんどが県や市の文化財に指定され、大戦の惨禍からは
逃れている。
<名古屋市のお寺総覧>
(1)寺名:建中寺(けんちゅうじ)
(2)住所:愛知県名古屋市東区筒井1-7-57
(3)山号:徳興山 (4)宗派:浄土宗
(5)開山:成誉廓呑 (6)開基:徳川光友
(7)開創:1651年 (8)本尊:阿弥陀如来
(9)その他
1)伽藍
総門:市指定文化財 1652年
三門:市指定文化財 1652年
本堂:市指定文化財 1787年
鐘楼:市指定文化財 1787年
経蔵:市指定文化財 1828年
開山堂:市指定文化財 1786年
徳川家霊廟:県指定文化財 1786年
徳川光友廟:市指定文化財 1701年
2)訪問日:2013年4月27日

境内図

総門

三門

三門

本堂



境内

左に不動堂 右に開山堂


境内

境内

庚申像


徳川光友廟

鐘楼

経蔵

書院