阿吽寺、正福寺 (奈良県御所市) 古代寺院巨勢寺の子院

御所市古瀬の巨勢山丘陵にかって存在した巨勢寺(こせでら)は、阿吽寺の
縁起によれば聖徳太子の開創と伝えられているが、詳細は不詳である。
日本書紀によれば、686年に巨勢寺の名前が登場し、相当の大寺であった
と考えられている。
また、6世紀以降台頭し、天皇にも仕えた地元豪族・巨勢氏の氏寺ではないかと
考えられている。
平安時代に奈良興福寺の末寺となり、1308年には春日大社に財産を寄進し、
その後衰退して廃寺となったと考えられている。

古瀬集落に巨勢寺の塔跡が残っており、その近辺に巨勢寺子院といわれる
阿吽寺と正福寺がある。

万葉集の歌に
 <巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ思ばな巨勢の春野を>
 <河上のつらつら椿つらつらに見れども飽かず巨勢の春野は>

<巨勢寺塔跡>
 国指定史跡
 住所:奈良県御所市古瀬98の近く

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                 全景

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              塔心礎(左)大日堂

<阿吽寺>

平安時代に巨勢川が氾濫した折に、阿吽法師が来て里人を救済したことから、
里人は巨勢寺の一角の玉椿精舎に住んでもらったといわれ、その精舎が
阿吽寺として巨勢寺子院となったと伝えられている。
現在は、境内一面が椿で覆われ、名所となっている。

(1)寺名:阿吽寺(あうんじ) 
(2)住所:奈良県御所市古瀬361
(3)山号:玉椿山 (4)宗派:単立
(5)開山:阿吽法師 (6)開創:不詳 
(7)本尊:十一面観音
(8)その他
1)椿の寺
2)万葉歌碑

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                 参道

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                 境内

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                 本堂

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                万葉歌碑



<正福寺>

正福寺は1353年巨勢寺子院・勝福寺として開創されたと伝えられ、
江戸時代になり正福寺となっている。
お寺には、巨勢寺の伽藍図(江戸時代初期)や礎石が残されている。

(1)寺名:正福寺(しょうふくじ) 
(2)住所:奈良県御所市古瀬247-1
(3)山号:冬野山 (4)宗派:浄土真宗本願寺派
(5)開創:不詳 (6)本尊:阿弥陀如来

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                 遠景

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                 参道

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                 山門

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                巨勢寺礎石

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                 本堂


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