光明寺 (神奈川県平塚市) 坂東三十三観音霊場第7番
平塚市の金目川の辺にそれほど広くない境内を占める光明寺は、
金目観音として坂東三十三観音霊場の第7番札所の信仰を集め、
特に安産祈願のお寺としてその古格を保っている。
鎌倉時代に源頼朝の帰依を受け、妻・北条政子の安産祈願を祈った
といわれる故事が信仰を多く集めるようになったともいわれている。
702年海女が海中から桶に観音を授かり、それを祀ったのがお寺の
始まりと伝えられている。
その後、道儀上人が海女の家跡に観音堂を創建したといわれている。
普通のお寺に歴史を刻みつけた光明寺も観音霊場の面白さである。
<関東甲信越のお寺>
(1)寺名:光明寺(こうみょうじ)<通称:金目観音(かなめかんのん)>
(2)住所:神奈川県平塚市南金目896
(3)山号:金目山 (4)宗派:天台宗
(5)開山:道儀 (6)開創:702年 (7)本尊:聖観音
(8)その他
1)本堂内厨子:重要文化財 1498年
厨子前立聖観音立像:重要文化財 1498年 像高86cm
本尊・聖観音立像:市指定文化財 鎌倉時代 像高168cm
2)本堂(観音堂):県指定文化財 1498年
仁王門:市指定文化財 江戸時代
3)金剛力士立像:県指定文化財 14世紀
観音三十三応現身立像:市指定文化財
4)梵鐘:県指定文化財 1353年
5)古文書:市指定文化財 源頼朝下文など
縁起書:市指定文化財 1710年
6)訪問日:2011年11月4日
仁王門
本堂
歓喜天堂

金目観音として坂東三十三観音霊場の第7番札所の信仰を集め、
特に安産祈願のお寺としてその古格を保っている。
鎌倉時代に源頼朝の帰依を受け、妻・北条政子の安産祈願を祈った
といわれる故事が信仰を多く集めるようになったともいわれている。
702年海女が海中から桶に観音を授かり、それを祀ったのがお寺の
始まりと伝えられている。
その後、道儀上人が海女の家跡に観音堂を創建したといわれている。
普通のお寺に歴史を刻みつけた光明寺も観音霊場の面白さである。
<関東甲信越のお寺>
(1)寺名:光明寺(こうみょうじ)<通称:金目観音(かなめかんのん)>
(2)住所:神奈川県平塚市南金目896
(3)山号:金目山 (4)宗派:天台宗
(5)開山:道儀 (6)開創:702年 (7)本尊:聖観音
(8)その他
1)本堂内厨子:重要文化財 1498年
厨子前立聖観音立像:重要文化財 1498年 像高86cm
本尊・聖観音立像:市指定文化財 鎌倉時代 像高168cm
2)本堂(観音堂):県指定文化財 1498年
仁王門:市指定文化財 江戸時代
3)金剛力士立像:県指定文化財 14世紀
観音三十三応現身立像:市指定文化財
4)梵鐘:県指定文化財 1353年
5)古文書:市指定文化財 源頼朝下文など
縁起書:市指定文化財 1710年
6)訪問日:2011年11月4日
仁王門
本堂
歓喜天堂