如意寺 (京都府宮津市由良) 身代り地蔵
山椒太夫伝説で知られる宮津市由良の集落にある如意寺の地蔵菩薩は
鎌倉時代の大仏師・快慶の作で、京都府の文化財に指定されている。
この地蔵菩薩が山椒太夫伝説と関わりがあると言い伝えられている。
厨子王と安寿姫が山椒太夫のもとを逃れようとして捕まり、太夫から
焼き印を受けたが翌日になってすっかり良くなっていた。
その代わりにこの地蔵菩薩が身代りとなって右肩に焼き印の跡が
残っていると伝承されている。
身代り地蔵尊として信仰を集めている。
如意寺の開創は615年頃、聖徳太子の異母弟・麻呂子親王によると
伝えられているが不詳なところがある。
桃山時代に宮津城主であった細川忠興によって再興され、宮津城主の
祈願所となっている。
境内は芝生が植生され、小さいながらも風景を作っている。
境内には、山椒太夫の首塚といわれる石塔がある。
(1)寺名:如意寺(にょいじ) (2)住所:京都府宮津市由良2358
(3)山号:由良山 (4)宗派:東寺真言宗
(5)開基:麻呂子親王 (6)開創:615年頃 (7)本尊:薬師如来
(8)その他
1)地蔵菩薩坐像:府指定文化財 快慶作 鎌倉時代初期 像高53cm
2)伝山椒太夫首塚:宝篋印塔 室町時代
表門
地蔵堂
本堂
山椒太夫首塚
鎌倉時代の大仏師・快慶の作で、京都府の文化財に指定されている。
この地蔵菩薩が山椒太夫伝説と関わりがあると言い伝えられている。
厨子王と安寿姫が山椒太夫のもとを逃れようとして捕まり、太夫から
焼き印を受けたが翌日になってすっかり良くなっていた。
その代わりにこの地蔵菩薩が身代りとなって右肩に焼き印の跡が
残っていると伝承されている。
身代り地蔵尊として信仰を集めている。
如意寺の開創は615年頃、聖徳太子の異母弟・麻呂子親王によると
伝えられているが不詳なところがある。
桃山時代に宮津城主であった細川忠興によって再興され、宮津城主の
祈願所となっている。
境内は芝生が植生され、小さいながらも風景を作っている。
境内には、山椒太夫の首塚といわれる石塔がある。
(1)寺名:如意寺(にょいじ) (2)住所:京都府宮津市由良2358
(3)山号:由良山 (4)宗派:東寺真言宗
(5)開基:麻呂子親王 (6)開創:615年頃 (7)本尊:薬師如来
(8)その他
1)地蔵菩薩坐像:府指定文化財 快慶作 鎌倉時代初期 像高53cm
2)伝山椒太夫首塚:宝篋印塔 室町時代
表門
地蔵堂
本堂
山椒太夫首塚