興源寺 (徳島県徳島市) 徳島藩主蜂須賀家の菩提寺
徳島藩主蜂須賀家といえば、なんといっても豊臣秀吉との逸話で有名な
蜂須賀小六であろう。小六の正式名は蜂須賀正勝で蜂須賀家の家祖と
して興源寺墓所に祀られている。
正勝の長子・家政が1585年徳島城を築城した時は、蜂須賀家の菩提寺
は城内の福聚寺にあったが、1586年現在地の下助任町に移され、
1636年興源寺と改名している。
興源寺の面影は少し減退しているが、蜂須賀家墓所は助任緑地として
整備され国の史跡に指定されている。
これぞ大名墓所といわしめる広さと整備が行き届いた風景は墓地公園
としての役割も果たしている。
正勝の墓所は少し離れた興源寺墓地の中に正室・松とともに祀られている。
<阿波おどり>の起源は徳島城築城祝いの奉納おどりが始まりともいわれ、
毎年阿波おどりの開幕は興源寺奉納おどりで始まる。
<徳島県のお寺一覧>
(1)寺名:興源寺(こうげんじ)
(2)住所:徳島県徳島市下助任町2-45
(3)山号:大雄山 (4)宗派:臨済宗妙心寺派
(5)開基:蜂須賀家政 (6)開創:1586年
(7)本尊:釈迦牟尼
(8)その他
1)蜂須賀家墓所(徳島市管理):国指定史跡
2)訪問日:2011年10月8日
山門
本堂
蜂須賀家墓所
蜂須賀家墓所
蜂須賀正勝夫妻墓
2代藩主蜂須賀忠英墓
蜂須賀小六であろう。小六の正式名は蜂須賀正勝で蜂須賀家の家祖と
して興源寺墓所に祀られている。
正勝の長子・家政が1585年徳島城を築城した時は、蜂須賀家の菩提寺
は城内の福聚寺にあったが、1586年現在地の下助任町に移され、
1636年興源寺と改名している。
興源寺の面影は少し減退しているが、蜂須賀家墓所は助任緑地として
整備され国の史跡に指定されている。
これぞ大名墓所といわしめる広さと整備が行き届いた風景は墓地公園
としての役割も果たしている。
正勝の墓所は少し離れた興源寺墓地の中に正室・松とともに祀られている。
<阿波おどり>の起源は徳島城築城祝いの奉納おどりが始まりともいわれ、
毎年阿波おどりの開幕は興源寺奉納おどりで始まる。
<徳島県のお寺一覧>
(1)寺名:興源寺(こうげんじ)
(2)住所:徳島県徳島市下助任町2-45
(3)山号:大雄山 (4)宗派:臨済宗妙心寺派
(5)開基:蜂須賀家政 (6)開創:1586年
(7)本尊:釈迦牟尼
(8)その他
1)蜂須賀家墓所(徳島市管理):国指定史跡
2)訪問日:2011年10月8日
山門
本堂
蜂須賀家墓所
蜂須賀家墓所
蜂須賀正勝夫妻墓
2代藩主蜂須賀忠英墓