善光寺 (長野県長野市) (2)本尊と本堂
善光寺は<大勧進>とその子院25院、<大本願>とその子坊14坊によって
経営され、大勧進貫主と大本願上人(尼僧)が善光寺の住職を務める形態に
なっている。
文化財も善光寺所蔵と大勧進などの所蔵に分かれているが、このページでは
善光寺所蔵のものを取り上げる。
本尊一光三尊阿弥陀如来立像(善光寺式阿弥陀如来)は7世紀中頃から
秘仏となっており、その姿は前立本尊からしか窺えない。
<善光寺縁起>では、本尊は印度・百済を経て552年日本に伝来した
日本最古の仏像とされている。
前立本尊は1195年の造像といわれ、これ以降全国で模像が作られ、
<善光寺式阿弥陀如来>と呼ばれる類型ができあがり、現在では
440数体を数える。
本堂は幾度となく火災に遭い、1700年に炎上した本堂が1707年に
再建され今日に到っている。
1700年以前は如来堂(本堂)は、現在の仲見世通りの中間西側
(延命地蔵尊)にあり横に長い構造であった。
現在の本堂は縦に長い構造で、撞木造りと呼ばれる独特の構造である。
これは、一番奥の内々陣から内陣、外陣と継ぎ足されてきたことに
よるらしい。
本堂は東日本最大の木造建築といわれる。
<長野県のお寺一覧>
<文化財>
1)本尊一光三尊阿弥陀如来立像:絶対秘仏
前立本尊善光寺式阿弥陀三尊像:重要文化財 鎌倉時代 像高42cm
7年に一度開帳(実質6年)
2)伽藍
本堂・厨子:国宝 1707年 撞木造り 厨子の年代は不明
三門:重要文化財 1750年
経蔵:重要文化財 1759年
3)梵鐘:重要美術品 1632年
銅造地蔵菩薩坐像(濡仏):重要美術品 1722年
宝篋印塔2基:市指定文化財 室町時代初期
4)善光寺正月行事堂童子:国選択無形民俗文化財
正月行事用具:市指定有形民俗文化財
善光寺木遣り:市指定無形民俗文化財
5)善光寺参道敷石:市指定史跡 1714年
6)訪問日:2011年5月6日
<国宝>本堂
<国宝>本堂
<国宝>本堂
<重文>三門
<重文>三門
<重文>経蔵
仁王門
鐘楼
雲上殿
参道敷石
宝篋印塔

経営され、大勧進貫主と大本願上人(尼僧)が善光寺の住職を務める形態に
なっている。
文化財も善光寺所蔵と大勧進などの所蔵に分かれているが、このページでは
善光寺所蔵のものを取り上げる。
本尊一光三尊阿弥陀如来立像(善光寺式阿弥陀如来)は7世紀中頃から
秘仏となっており、その姿は前立本尊からしか窺えない。
<善光寺縁起>では、本尊は印度・百済を経て552年日本に伝来した
日本最古の仏像とされている。
前立本尊は1195年の造像といわれ、これ以降全国で模像が作られ、
<善光寺式阿弥陀如来>と呼ばれる類型ができあがり、現在では
440数体を数える。
本堂は幾度となく火災に遭い、1700年に炎上した本堂が1707年に
再建され今日に到っている。
1700年以前は如来堂(本堂)は、現在の仲見世通りの中間西側
(延命地蔵尊)にあり横に長い構造であった。
現在の本堂は縦に長い構造で、撞木造りと呼ばれる独特の構造である。
これは、一番奥の内々陣から内陣、外陣と継ぎ足されてきたことに
よるらしい。
本堂は東日本最大の木造建築といわれる。
<長野県のお寺一覧>
<文化財>
1)本尊一光三尊阿弥陀如来立像:絶対秘仏
前立本尊善光寺式阿弥陀三尊像:重要文化財 鎌倉時代 像高42cm
7年に一度開帳(実質6年)
2)伽藍
本堂・厨子:国宝 1707年 撞木造り 厨子の年代は不明
三門:重要文化財 1750年
経蔵:重要文化財 1759年
3)梵鐘:重要美術品 1632年
銅造地蔵菩薩坐像(濡仏):重要美術品 1722年
宝篋印塔2基:市指定文化財 室町時代初期
4)善光寺正月行事堂童子:国選択無形民俗文化財
正月行事用具:市指定有形民俗文化財
善光寺木遣り:市指定無形民俗文化財
5)善光寺参道敷石:市指定史跡 1714年
6)訪問日:2011年5月6日
<国宝>本堂
<国宝>本堂
<国宝>本堂
<重文>三門
<重文>三門
<重文>経蔵
仁王門
鐘楼
雲上殿
参道敷石
宝篋印塔