善光寺 (長野県長野市) (1)代表的な庶民信仰

<牛に引かれて善光寺詣り>
<身はここに心は信濃の善光寺>
<月とほとけとおらが蕎麦>
<女人救済の仏>など善光寺を表す言葉は多くを数えるが、ここまで
庶民信仰のお寺の代表として一大霊場となったのだろうか。
歴史を追って分析している説も多く見かけられる。

通説では、平安時代後期の<善光寺本縁起>が流布し、聖や遍歴する
僧(親鸞聖人など)などが各地で唱導したことが大きいといわれる。
史料的には11世紀末の<扶桑略記>に善光寺縁起の記述が見られる。
現在の<善光寺縁起>は室町時代に確立している。
そこで唱えられた特徴は、
 (1)本尊善光寺如来が三国伝来の日本最古の仏
 (2)女人救済の仏
 (3)現世利益的な功徳をもたらす仏
などが大きくあげられ、庶民に浸透していったといわれる。

江戸時代後期には<お伊勢参り><成田山詣><善光寺詣り>など
物見遊山と相まって広まった。

<長野県のお寺一覧>

(1)寺名:善光寺(ぜんこうじ) 
(2)住所:長野県長野市長野元善町491
(3)山号:定額山 (4)宗派:無宗派単立
(5)開基:本田善光 (6)開創:642年 
(7)本尊:一光三尊阿弥陀如来
(8)年表
552年:本尊一光三尊阿弥陀如来がインドから百済経由で日本に伝来
602年:難波の堀江に沈められた本尊を本田善光が飯田市に移す。
     元善光寺の始まり。
642年:本尊が長野市に移る。
644年:善光寺が建立
654年:本尊が秘仏となる。
1187年:1179年本堂焼失後、源頼朝再建をはかる。
1214年:親鸞聖人参詣
1555年:武田信玄、善光寺を甲府へ移す。
1598年:豊臣秀吉、本尊を善光寺に移す。
1707年:何度も焼失した本堂が再建され、今日に到る。
(9)訪問日:2011年5月6日

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                  参道

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                  参道

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                  参道

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                <重文>三門

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                <国宝>本堂

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                 親鸞聖人像

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                 宿坊街


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