信濃国分寺 (長野県上田市)

741年聖武天皇の詔によって全国66ヶ国68ヶ所に国分寺が創建されたが、
信濃国の国分寺は現在の上田市に創建され、その遺構も判明している。
当時は、信濃国の国府も上田の地に置かれていたと(遺跡は判明せず)
考えられており、後に国府は松本市付近(遺跡は判明せず)に移ったと
推定されている。

上田市は信濃国の中心として歴史的に重要な位置にあったし、地理的にも
千曲川の流れる肥沃な地勢と思われる。
また、多くの宗教上の文化財も残る文化都市といえよう。

信濃国分寺がいつ創建されたかは不詳であるが、伽藍は180m四方の
中に南大門・中門・金堂・講堂・七重塔などを備える東大寺式伽藍と
判明している。
信濃国分寺は939年の天慶の乱により焼失し、鎌倉時代に
跡地の北300mに再興され、跡地は整備され史跡公園となっている。

<長野県のお寺一覧>

(1)寺名:信濃国分寺(しなのこくぶんじ)<通称:八日堂> 
(2)住所:長野県上田市国分1125
(3)山号:なし (4)宗派:天台宗
(5)開基:聖武天皇 (6)開創:741~奈良時代 
(7)本尊:薬師如来
(8)その他
1)伽藍
  三重塔:重要文化財 室町時代中期 高さ20m
  本堂:県指定文化財 1860年
2)その他文化財
  石造多宝塔:市指定文化財 鎌倉時代
  本堂勧進帳、牛頭天王祭文、八日堂縁日祭文、蘇民将来符:市指定文化財
3)信濃国分寺跡:国指定史跡
4)八日堂大縁日:1月7・8日 蘇民将来符の配布 縁日は毎月8日
     蘇民将来符;厄除け・招福の護符
5)訪問日:2010年11月7日

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                信濃国分寺跡

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                  山門

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                  参道

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               <重文>三重塔

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                  本堂


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