恵林寺 (山梨県甲州市塩山) 武田信玄の菩提寺
山梨県甲州市塩山の恵林寺は、1330年鎌倉幕府の御家人甲斐牧庄領主・
二階堂貞藤(道蘊)が夢窓国師(疎石)を招いて自宅を禅寺として開創したと
伝えられている。
1305年にも二階堂貞藤は牧庄に夢窓国師を招いて浄居寺を開創し、
国師に深い帰依をしている。
応仁の乱で荒廃したが、武田信玄は快川禅師を美濃から招いて寺領を与え
再興している。(武田信玄の菩提寺)
1582年武田勝頼が天目山で自害後、恵林寺に逃げ込んだ六角氏を寺側は
織田軍に引き渡さず抵抗したことから焼打ちに遭い、その時快川禅師が
三門上から詠んだと言われている偈
<安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し>
は余りにも有名な言葉である。
織田信長が滅んだ後徳川家康の手で再興され、その後甲府藩主となった
柳沢吉保の支援を得て大いに栄えたと言われている。(柳沢吉保の菩提寺)
最近人気のパワースポットとして、恵林寺の信玄公とその家臣の墓所もその
一つで、私が訪れた時も若い人たちが集まっていた。
<山梨県のお寺一覧>
(1)寺名:恵林寺(えりんじ)
(2)住所:山梨県甲州市塩山小屋敷2280
(3)山号:乾徳山 (4)宗派:臨済宗妙心寺派
(5)開山:夢窓疎石(夢窓国師) (6)開基:二階堂貞藤
(7)開創:1330年 (8)本尊:釈迦牟尼
(9)その他
1)武田信玄菩提寺、柳沢吉保菩提寺
2)重要文化財
四脚門(赤門):桃山時代 檜皮葺
太刀:鎌倉時代 銘来国長
短刀:1369年 銘備洲長船倫光
3)庭園:国指定名勝 夢窓国師作庭
4)県指定文化財
三門:室町時代 楼門
夢窓国師坐像:鎌倉時代
和漢朗詠集:室町時代
恵林寺文書5点、孫子の旗、諏訪神号旗、不動明王二童子版木
渡唐天神像(画)、柳沢吉保・定子関係史料
5)武田晴信(信玄)墓:県指定史跡
6)市指定文化財
恵林寺文書8点、柳沢吉保坐像、柳沢家大名調度品など多数
7)柳沢吉保夫妻墓:市指定史跡
8)訪問日:2010年9月
<山門から三門へ>
山門(黒門)
赤門へ
赤門へ
赤門
赤門
三門へ
三門
<伽藍>
境内
開山堂
三重塔
庫裡
本堂(方丈)
柳沢吉保廟
<庭園など>
放生池
武田信玄墓所
大杉
柳沢吉保墓所
本堂前庭
庭園
庭園
庭園
庭園
二階堂貞藤(道蘊)が夢窓国師(疎石)を招いて自宅を禅寺として開創したと
伝えられている。
1305年にも二階堂貞藤は牧庄に夢窓国師を招いて浄居寺を開創し、
国師に深い帰依をしている。
応仁の乱で荒廃したが、武田信玄は快川禅師を美濃から招いて寺領を与え
再興している。(武田信玄の菩提寺)
1582年武田勝頼が天目山で自害後、恵林寺に逃げ込んだ六角氏を寺側は
織田軍に引き渡さず抵抗したことから焼打ちに遭い、その時快川禅師が
三門上から詠んだと言われている偈
<安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し>
は余りにも有名な言葉である。
織田信長が滅んだ後徳川家康の手で再興され、その後甲府藩主となった
柳沢吉保の支援を得て大いに栄えたと言われている。(柳沢吉保の菩提寺)
最近人気のパワースポットとして、恵林寺の信玄公とその家臣の墓所もその
一つで、私が訪れた時も若い人たちが集まっていた。
<山梨県のお寺一覧>
(1)寺名:恵林寺(えりんじ)
(2)住所:山梨県甲州市塩山小屋敷2280
(3)山号:乾徳山 (4)宗派:臨済宗妙心寺派
(5)開山:夢窓疎石(夢窓国師) (6)開基:二階堂貞藤
(7)開創:1330年 (8)本尊:釈迦牟尼
(9)その他
1)武田信玄菩提寺、柳沢吉保菩提寺
2)重要文化財
四脚門(赤門):桃山時代 檜皮葺
太刀:鎌倉時代 銘来国長
短刀:1369年 銘備洲長船倫光
3)庭園:国指定名勝 夢窓国師作庭
4)県指定文化財
三門:室町時代 楼門
夢窓国師坐像:鎌倉時代
和漢朗詠集:室町時代
恵林寺文書5点、孫子の旗、諏訪神号旗、不動明王二童子版木
渡唐天神像(画)、柳沢吉保・定子関係史料
5)武田晴信(信玄)墓:県指定史跡
6)市指定文化財
恵林寺文書8点、柳沢吉保坐像、柳沢家大名調度品など多数
7)柳沢吉保夫妻墓:市指定史跡
8)訪問日:2010年9月
<山門から三門へ>
山門(黒門)
赤門へ
赤門へ
赤門
赤門
三門へ
三門
<伽藍>
境内
開山堂
三重塔
庫裡
本堂(方丈)
柳沢吉保廟
<庭園など>
放生池
武田信玄墓所
大杉
柳沢吉保墓所
本堂前庭
庭園
庭園
庭園
庭園