法然上人の生涯(足跡)とゆかりの寺
2011年は浄土宗開祖・法然上人が1212年1月25日(旧暦)
に亡くなって800年大遠忌の年になる。
法然上人が1133年4月7日(旧暦)に岡山県久米南町で、父・
漆間時国、母・秦氏の子として誕生以来の足跡をお寺を中心に追っ
てみよう。

法然上人像(知恩院)
1132年:本山寺(岡山県美咲町) 両親が安産祈願
1133年:誕生寺(岡山県久米南町) 生誕地 法然上人二十五霊場第1番
(1歳) 名前を勢至丸
1141年:夜討に遭って父を失う。父の遺言によって仇討を止め
(9歳) 菩提寺(岡山県奈義町)の観覚の弟子となる
1145年:延暦寺(滋賀県大津市)西塔の源光に師事
(13歳)
1147年:皇円阿闍梨のもとで得度 延暦寺東塔の戒壇院で僧となる
(15歳) 延暦寺法然堂で得度・修行
1150年:延暦寺西塔の黒谷青龍寺の叡空に師事 名前・法然房源空を授与
(18歳) 青龍寺は二十五霊場の特別霊場
1156年:清涼寺(京都市右京区)に7日間参籠
(24歳)
1175年:比叡山を下りて最初に草庵を築く(金戒光明寺(京都市左京区))
(43歳) 金戒光明寺は二十五霊場第24番
専修念仏に進み布教を開始(立教開宗の年)
西山広谷(現在の光明寺(京都府長岡京市))に入り布教
光明寺;二十五霊場第16番
伊勢神宮参詣の折、日輪の名号を感得
(名号の残る欣浄寺(三重県伊勢市));二十五霊場第12番
1176年:皇円阿闍梨を偲んで静岡県の応声教院(菊川市)を訪れる
(44歳)
1175~80年:二尊院(京都市右京区)に草庵を設ける
二十五霊場第17番
吉水に入り草庵を設ける(吉水草庵<安養寺(京都市東山区)>)
蔵俊法師が法然上人に帰依して誓願寺(京都市中京区)を浄土宗
とする 二十五霊場第20番
百万遍知恩寺(京都市左京区)の始まりといわれる賀茂の河原屋
で布教 知恩寺は二十五霊場第22番
後白河法皇は清浄華院(京都市上京区)を法然上人に与える
清浄華院は二十五霊場第23番
1181年:法然上人の推挙で重源上人が東大寺再興の大勧進
(49歳)
1183年:四天王寺(大阪市)参詣 六時堂 二十五霊場第6番
(51歳)
1185年:四天王寺別当・慈鎮和尚の招きで、西門近くに草庵を築く
(53歳) それが一心寺(大阪市)の始まり 二十五霊場第7番
1186年:大原の勝林院(京都市左京区)で大原問答 二十五霊場第21番
(54歳)
1188年:清水寺阿弥陀堂(京都市東山区)で初めて常行念仏を修する
(56歳) 二十五霊場第13番
1189年:九条兼実が法然上人に帰依する
(57歳)
1190年:重源上人の招きで法然上人が東大寺で講ずる
(58歳) その関係で東大寺指図堂が二十五霊場第11番となる
証空(西山派の開祖)が法然上人の弟子となる
1191年:高野山を参詣 高野山奥の院に法然上人の供養塔
(59歳) 聖徳太子の橘寺(明日香村)に参詣
帰途法然寺(橿原市)で説教 二十五霊場第10番
1193年:熊谷直実(蓮生)が法然上人の弟子となる
(61歳)
1194年:後白河法皇の3回忌を引導寺(現在の青龍寺)で営む。
(62歳)
1195年:東大寺大仏殿落慶供養で導師を勤める
(63歳) 帰途、忍空上人に請われて源空寺(京都市伏見区)で説教
源空寺;二十五霊場第15番
1197年:蓮生(熊谷直実)が京都に法然上人を開山として法然寺を開く
(65歳) 法然寺(京都市右京区)は二十五霊場第19番
弁長(鎮西派の祖)が法然上人の弟子となる
<弁長は善導寺(久留米市)の開山、浄土宗七大本山>
1198年:九条兼実の懇請により<選択本願念仏集>を著す
(66歳)
1201年:親鸞が法然上人に入門する
(69歳)
1204年:法然上人は蓮華王院三十三間堂で後白河法皇13回忌を営む
(72歳)
1205年:霊山寺(後の正法寺(京都市東山区))で別時念仏を修する
(73歳)
1206年:建永の法難 安楽寺(京都市左京区)が発端
(74歳)
1207年:四国配流となる
(75歳) 京都愛宕山の月輪寺(右京区)に九条兼実を訪ねる
二十五霊場第18番
小松谷正林寺(京都市東山区)から出立 二十五霊場第14番
伏見の一念寺(京都市)で弟子達と別れ、淀川を下る
尼崎の如来院(尼崎市)に立ち寄り、五人の遊女物語がある
如来院は二十五霊場第4番
高砂の十輪寺(兵庫県高砂市)で念仏を称す 二十五霊場第3番
室津の浄運寺(兵庫県たつの市)で遊女・友君に念仏の道を教える
四国配流の地・小松庄(現在、香川県まんのう町)に草庵を設け、
生福寺とする
<江戸時代に高松市に移り、法然寺(高松市)となる>
法然寺は二十五霊場第2番
<後年、生福寺跡地に西念寺(まんのう町)が建立される>
善通寺(香川県善通寺市)を参詣し、逆修塔を建てる
1208年:四国配流赦免される
(76歳) 帰途、嵐に遭い油生浜に着き、村人の帰依を受ける
後年、報恩講寺(和歌山市)が建立される 二十五霊場第8番
摂津の勝尾寺(大阪府箕面市)に入り、4年間在住
勝尾寺二階堂は二十五霊場第5番
1211年:赦免され京に入る
(79歳)
1212年:源智の願いに応えて遺言<一枚起請文>を書く
(80歳) 1月25日、現在の知恩院(京都市)の地で入滅
二十五霊場25番
<追記:二十五霊場第9番當麻寺奥院(奈良県葛城市)
二十五霊場縁故本山禅林寺<永観堂>(京都市左京区)>
誕生寺
法然上人旅立像
<誕生寺境内>
知恩院
知恩院法然上人廟所
に亡くなって800年大遠忌の年になる。
法然上人が1133年4月7日(旧暦)に岡山県久米南町で、父・
漆間時国、母・秦氏の子として誕生以来の足跡をお寺を中心に追っ
てみよう。

法然上人像(知恩院)
1132年:本山寺(岡山県美咲町) 両親が安産祈願
1133年:誕生寺(岡山県久米南町) 生誕地 法然上人二十五霊場第1番
(1歳) 名前を勢至丸
1141年:夜討に遭って父を失う。父の遺言によって仇討を止め
(9歳) 菩提寺(岡山県奈義町)の観覚の弟子となる
1145年:延暦寺(滋賀県大津市)西塔の源光に師事
(13歳)
1147年:皇円阿闍梨のもとで得度 延暦寺東塔の戒壇院で僧となる
(15歳) 延暦寺法然堂で得度・修行
1150年:延暦寺西塔の黒谷青龍寺の叡空に師事 名前・法然房源空を授与
(18歳) 青龍寺は二十五霊場の特別霊場
1156年:清涼寺(京都市右京区)に7日間参籠
(24歳)
1175年:比叡山を下りて最初に草庵を築く(金戒光明寺(京都市左京区))
(43歳) 金戒光明寺は二十五霊場第24番
専修念仏に進み布教を開始(立教開宗の年)
西山広谷(現在の光明寺(京都府長岡京市))に入り布教
光明寺;二十五霊場第16番
伊勢神宮参詣の折、日輪の名号を感得
(名号の残る欣浄寺(三重県伊勢市));二十五霊場第12番
1176年:皇円阿闍梨を偲んで静岡県の応声教院(菊川市)を訪れる
(44歳)
1175~80年:二尊院(京都市右京区)に草庵を設ける
二十五霊場第17番
吉水に入り草庵を設ける(吉水草庵<安養寺(京都市東山区)>)
蔵俊法師が法然上人に帰依して誓願寺(京都市中京区)を浄土宗
とする 二十五霊場第20番
百万遍知恩寺(京都市左京区)の始まりといわれる賀茂の河原屋
で布教 知恩寺は二十五霊場第22番
後白河法皇は清浄華院(京都市上京区)を法然上人に与える
清浄華院は二十五霊場第23番
1181年:法然上人の推挙で重源上人が東大寺再興の大勧進
(49歳)
1183年:四天王寺(大阪市)参詣 六時堂 二十五霊場第6番
(51歳)
1185年:四天王寺別当・慈鎮和尚の招きで、西門近くに草庵を築く
(53歳) それが一心寺(大阪市)の始まり 二十五霊場第7番
1186年:大原の勝林院(京都市左京区)で大原問答 二十五霊場第21番
(54歳)
1188年:清水寺阿弥陀堂(京都市東山区)で初めて常行念仏を修する
(56歳) 二十五霊場第13番
1189年:九条兼実が法然上人に帰依する
(57歳)
1190年:重源上人の招きで法然上人が東大寺で講ずる
(58歳) その関係で東大寺指図堂が二十五霊場第11番となる
証空(西山派の開祖)が法然上人の弟子となる
1191年:高野山を参詣 高野山奥の院に法然上人の供養塔
(59歳) 聖徳太子の橘寺(明日香村)に参詣
帰途法然寺(橿原市)で説教 二十五霊場第10番
1193年:熊谷直実(蓮生)が法然上人の弟子となる
(61歳)
1194年:後白河法皇の3回忌を引導寺(現在の青龍寺)で営む。
(62歳)
1195年:東大寺大仏殿落慶供養で導師を勤める
(63歳) 帰途、忍空上人に請われて源空寺(京都市伏見区)で説教
源空寺;二十五霊場第15番
1197年:蓮生(熊谷直実)が京都に法然上人を開山として法然寺を開く
(65歳) 法然寺(京都市右京区)は二十五霊場第19番
弁長(鎮西派の祖)が法然上人の弟子となる
<弁長は善導寺(久留米市)の開山、浄土宗七大本山>
1198年:九条兼実の懇請により<選択本願念仏集>を著す
(66歳)
1201年:親鸞が法然上人に入門する
(69歳)
1204年:法然上人は蓮華王院三十三間堂で後白河法皇13回忌を営む
(72歳)
1205年:霊山寺(後の正法寺(京都市東山区))で別時念仏を修する
(73歳)
1206年:建永の法難 安楽寺(京都市左京区)が発端
(74歳)
1207年:四国配流となる
(75歳) 京都愛宕山の月輪寺(右京区)に九条兼実を訪ねる
二十五霊場第18番
小松谷正林寺(京都市東山区)から出立 二十五霊場第14番
伏見の一念寺(京都市)で弟子達と別れ、淀川を下る
尼崎の如来院(尼崎市)に立ち寄り、五人の遊女物語がある
如来院は二十五霊場第4番
高砂の十輪寺(兵庫県高砂市)で念仏を称す 二十五霊場第3番
室津の浄運寺(兵庫県たつの市)で遊女・友君に念仏の道を教える
四国配流の地・小松庄(現在、香川県まんのう町)に草庵を設け、
生福寺とする
<江戸時代に高松市に移り、法然寺(高松市)となる>
法然寺は二十五霊場第2番
<後年、生福寺跡地に西念寺(まんのう町)が建立される>
善通寺(香川県善通寺市)を参詣し、逆修塔を建てる
1208年:四国配流赦免される
(76歳) 帰途、嵐に遭い油生浜に着き、村人の帰依を受ける
後年、報恩講寺(和歌山市)が建立される 二十五霊場第8番
摂津の勝尾寺(大阪府箕面市)に入り、4年間在住
勝尾寺二階堂は二十五霊場第5番
1211年:赦免され京に入る
(79歳)
1212年:源智の願いに応えて遺言<一枚起請文>を書く
(80歳) 1月25日、現在の知恩院(京都市)の地で入滅
二十五霊場25番
<追記:二十五霊場第9番當麻寺奥院(奈良県葛城市)
二十五霊場縁故本山禅林寺<永観堂>(京都市左京区)>
誕生寺
法然上人旅立像
<誕生寺境内>
知恩院
知恩院法然上人廟所