宝鏡寺 <人形寺>(京都市上京区) 尼門跡
京都市上京区にある宝鏡寺は、応安年間(1368~75年)
に光厳天皇皇女・恵厳禅尼が景愛寺の子院・建福尼寺に聖観音
を祀って宝鏡寺として開創したのが始まりである。
景愛寺は当時尼五山の筆頭で無外如大禅尼によって1277年
開創されている名刹であったが1498年焼失し再興されず、
宝鏡寺はその景愛寺の法燈を引き継いで今日に至っている。
1644年後水尾天皇の皇女が入寺して以後尼門跡(比丘尼御所)
として明治維新まで続き、百々御所と呼ばれた。
1957年から人形展を春・秋と一般公開し、また秋に人形供養
が行われ<人形寺>と呼ばれるようになった。
尼門跡の説明は <光照院門跡>
<京都市上京区のお寺一覧>
(1)寺名:宝鏡寺(ほうきょうじ)<別称:百々御所、人形寺>
(2)住所:京都市上京区寺之内通堀川東入百々町547
(3)山号:西山 (4)宗派:臨済宗系単立
(5)開基:華林宮恵厳禅尼 (6)開創:1368~75年
(7)本尊:聖観音
(8)その他
1)市指定文化財の伽藍
書院:1798年 本堂:1830年 使者の間:1830年
玄関:1830年 阿弥陀堂:1847年 表門:江戸時代末期
2)通常非公開であるが春・秋に人形展
3)訪問日:数回 撮影は外観のみ

築地塀

山門


人形塚

玄関

本堂
に光厳天皇皇女・恵厳禅尼が景愛寺の子院・建福尼寺に聖観音
を祀って宝鏡寺として開創したのが始まりである。
景愛寺は当時尼五山の筆頭で無外如大禅尼によって1277年
開創されている名刹であったが1498年焼失し再興されず、
宝鏡寺はその景愛寺の法燈を引き継いで今日に至っている。
1644年後水尾天皇の皇女が入寺して以後尼門跡(比丘尼御所)
として明治維新まで続き、百々御所と呼ばれた。
1957年から人形展を春・秋と一般公開し、また秋に人形供養
が行われ<人形寺>と呼ばれるようになった。
尼門跡の説明は <光照院門跡>
<京都市上京区のお寺一覧>
(1)寺名:宝鏡寺(ほうきょうじ)<別称:百々御所、人形寺>
(2)住所:京都市上京区寺之内通堀川東入百々町547
(3)山号:西山 (4)宗派:臨済宗系単立
(5)開基:華林宮恵厳禅尼 (6)開創:1368~75年
(7)本尊:聖観音
(8)その他
1)市指定文化財の伽藍
書院:1798年 本堂:1830年 使者の間:1830年
玄関:1830年 阿弥陀堂:1847年 表門:江戸時代末期
2)通常非公開であるが春・秋に人形展
3)訪問日:数回 撮影は外観のみ

築地塀

山門


人形塚

玄関

本堂