大谷本廟 <西大谷>(京都市東山区) 西本願寺・親鸞聖人廟所
京都市東山区の通称・西大谷と呼ばれる大谷本廟は、西本願寺の
飛地境内の堂舎で、親鸞聖人の廟所であり、また一般の墓地でもある。
1262年:親鸞聖人が善法房(現在の西本願寺・角坊)で亡くなる。
鳥辺野の南で火葬後、北大谷に葬られる。
1272年:親鸞聖人の末娘覚信尼などが西吉水北辺(現在の崇泰院あたり)
に遺骨を移し、六角堂の廟堂を造り親鸞影像を祀る。
これが大谷廟堂であり、本願寺の始まりである。
1465年:比叡山の僧兵により廟堂は破壊される。
親鸞廟所として続く。
1603年:知恩院の寺地拡張に伴い、徳川幕府の命により廟所は西大谷
(現在地)へ移る。
1639年~:西本願寺に属し、その後大谷本廟となる。
<親鸞聖人ゆかりのお寺>
(1)寺名:大谷本廟(おおたにほんびょう)<通称:西大谷>
(2)住所:京都市東山区五条橋東6-514
(3)宗派:浄土真宗本願寺派西本願寺飛地境内堂舎
(4)開創:1272年 覚信尼
(5)本尊:阿弥陀如来
(6)訪問:8回
<参道>

五条坂 中央に大谷本廟

標石

参道入口


参道入口石燈籠

参道



円通橋



朝市

親鸞聖人像


参道を振り返る
<伽藍>

総門



仏殿

鐘楼

二天門

覚信尼公碑

親鸞聖人修行の石窟

親鸞聖人廟拝殿(明著堂)

拝殿

親鸞聖人廟

墓所から清水寺を望む
飛地境内の堂舎で、親鸞聖人の廟所であり、また一般の墓地でもある。
1262年:親鸞聖人が善法房(現在の西本願寺・角坊)で亡くなる。
鳥辺野の南で火葬後、北大谷に葬られる。
1272年:親鸞聖人の末娘覚信尼などが西吉水北辺(現在の崇泰院あたり)
に遺骨を移し、六角堂の廟堂を造り親鸞影像を祀る。
これが大谷廟堂であり、本願寺の始まりである。
1465年:比叡山の僧兵により廟堂は破壊される。
親鸞廟所として続く。
1603年:知恩院の寺地拡張に伴い、徳川幕府の命により廟所は西大谷
(現在地)へ移る。
1639年~:西本願寺に属し、その後大谷本廟となる。
<親鸞聖人ゆかりのお寺>
(1)寺名:大谷本廟(おおたにほんびょう)<通称:西大谷>
(2)住所:京都市東山区五条橋東6-514
(3)宗派:浄土真宗本願寺派西本願寺飛地境内堂舎
(4)開創:1272年 覚信尼
(5)本尊:阿弥陀如来
(6)訪問:8回
<参道>

五条坂 中央に大谷本廟

標石

参道入口


参道入口石燈籠

参道



円通橋



朝市

親鸞聖人像


参道を振り返る
<伽藍>

総門



仏殿

鐘楼

二天門

覚信尼公碑

親鸞聖人修行の石窟

親鸞聖人廟拝殿(明著堂)

拝殿

親鸞聖人廟

墓所から清水寺を望む