西方寺 (奈良県奈良市油阪町) 南都総墓所

奈良県奈良市の油阪にある西方寺は、奈良時代前期に行基によって多聞山
(佐保山麓の丘陵)に開創されたと伝えられているが詳細は不詳である。
明治時代に廃寺となった眉間寺が同じ多聞山にあり、西方寺の本尊は
かって眉間寺の仏像であったと言われている。

1559年松永弾正久秀が多聞山に多聞城を築くために、西方寺は現在地に
移転することになり、東大寺の勧進聖であった祐全上人が西方寺として
再興したと言われている。
その移転に際して、時の正親町天皇からの綸旨により、宗派にとらわれない
南都の総墓所となり、現在も当時の石塔・石仏が多く残されている。

1985年に建立された<みてござる観音>がすぐ見てとれるお寺で、
大きなイチョウの木も見ごたえがある。

<奈良市のお寺一覧>

(1)寺名:西方寺(さいほうじ) 
(2)住所:奈良県奈良市油阪町434
(3)山号:草鞋山 (4)宗派:西山浄土宗
(5)開基:行基 (6)開創:不詳
(7)中興:祐全上人 1559年 (8)本尊:阿弥陀如来
(9)その他
1)本尊阿弥陀如来坐像:重要文化財 藤原時代 像高88cm
2)祐全上人坐像:市指定文化財 1556年
3)みてござる観音:1985年 高さ375cm
4)かって宮本武蔵が逗留したと伝えられている

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              みてござる観音

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                 山門

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                 本堂

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                 石仏
              <室町時代後期>


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