最勝院 (京都府宇治市) 平等院塔頭

京都府宇治市の平等院には2つの塔頭(浄土院、最勝院)があり、
最勝院は1654年京都東洞院六角の勝仙院の僧・澄栄師が平等院
に移住し、最勝院と号したのが始まりと言われている。
現在は、天台宗系の塔頭で、浄土院と共に平等院を共同管理している

境内には源頼政の墓があり、頼政の命日5月26日には平等院で
<頼政忌>が営まれる。
源頼政は、後白河天皇の第2皇子以仁王(もちひとおう)とともに
1180年平氏2万8千騎と宇治川で戦うが、敗れて平等院境内で
自害する。
<平家物語>では宇治川の橋合戦として伝えている。
頼政は境内に軍扇を敷いて自刃したと伝え、その地は<扇の芝>として
平等院境内に記されている。
この合戦が源氏勃興の契機となり、1185年に平氏は滅びる。

頼政辞世の句
<埋れ木の花さく事もなかりしに身のなる果ぞ悲しかりける>

<平等院>

(1)寺名:最勝院(さいしょういん) 
(2)住所:京都府宇治市宇治蓮華114
(3)宗派:天台宗系 (4)開山:澄栄師
(5)開創:1654年 (6)本尊:不動明王
(7)その他
1)仏像類
  本尊不動明王立像:鎌倉時代 像高145cm
  女神坐像:平安時代 像高46cm 鳳翔館展示
  池殿地蔵尊:南北朝時代 平等院浴室の守護仏といわれる
2)その他文化財
  平等院境内古図:市指定文化財 江戸時代
  源頼政画像:室町時代
3)源頼政墓:宝篋印塔 江戸時代 高さ2m

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                 境内

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                 本堂

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                 庫裡

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                源頼政墓

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              扇の芝(平等院境内)

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