もくもく探索日誌 2010年1月30日 滋賀県・甲賀
滋賀県甲賀市の土山へ向けて進路をとる。
東海道49番目の宿場で、鈴鹿山麓に位置する土山は滋賀県最南端
にある土山茶で有名な長閑な町である。
そして、もう一つ仏教文化財として国宝・重文に指定されている<長屋王願経>
が伝えられているお寺が3ヶ寺ある。
どうしてこの地に伝えられたのかも興味がある。
<長屋王願経=大般若経>は、奈良時代前期の皇族で政治の中枢にいたが、
藤原一族の謀略にあって自害した長屋王が願主となって写経させた大般若経
である。
和銅5年(712年)<和銅経>と神亀5年(728年)<神亀経>にそれぞれ
600巻写経され、和銅経600巻の内220巻が現存しており、212巻が
この土山の3ヶ寺に伝わっている。
最初に訪れた常明寺には27巻が伝えられており、国宝に指定されている。
常明寺は、奈良時代中期に元明天皇が文武天皇の供養追善のために
開創したと伝えられており、和銅経も文武天皇の供養のために写経された
いきさつから、このお寺に27巻が伝わるのだろうと住職はお話くださった。
常明寺
長松寺を経て、<和銅経>142巻<国宝>を伝える太平寺と<和銅経>43巻
<重文>を伝える見性庵へと向かう。
野洲川の上流沿いにある2寺では、住職のお話が聞けず<和銅経>伝来
の謎は解けずに終わった。
一説には、奈良・薬師寺から滋賀県安土・桑実寺を経て土山の3ヶ寺に
伝わったとも言われているが?
野洲川沿いに青土ダムを経て、清涼寺を訪問。
古寺の町と言われている甲賀市甲南町へと進路をとる。
<重文>千手観音立像を本尊とする檜尾寺、<重文>十一面観音立像を
本尊とする伊勢廻寺(いせばじ)は共に806年に開創されたと伝わる古刹である。
共に小高い丘陵を背にする小さなお寺であるが、貴重な仏像を伝えるまさしく古寺
である。
近くにある、近年庭園を整備していると聞く明王寺へも寄ってみた。
まだ進行中ではあったが、完成すれば面白いかな。
東海道49番目の宿場で、鈴鹿山麓に位置する土山は滋賀県最南端
にある土山茶で有名な長閑な町である。
そして、もう一つ仏教文化財として国宝・重文に指定されている<長屋王願経>
が伝えられているお寺が3ヶ寺ある。
どうしてこの地に伝えられたのかも興味がある。
<長屋王願経=大般若経>は、奈良時代前期の皇族で政治の中枢にいたが、
藤原一族の謀略にあって自害した長屋王が願主となって写経させた大般若経
である。
和銅5年(712年)<和銅経>と神亀5年(728年)<神亀経>にそれぞれ
600巻写経され、和銅経600巻の内220巻が現存しており、212巻が
この土山の3ヶ寺に伝わっている。
最初に訪れた常明寺には27巻が伝えられており、国宝に指定されている。
常明寺は、奈良時代中期に元明天皇が文武天皇の供養追善のために
開創したと伝えられており、和銅経も文武天皇の供養のために写経された
いきさつから、このお寺に27巻が伝わるのだろうと住職はお話くださった。
常明寺
長松寺を経て、<和銅経>142巻<国宝>を伝える太平寺と<和銅経>43巻
<重文>を伝える見性庵へと向かう。
野洲川の上流沿いにある2寺では、住職のお話が聞けず<和銅経>伝来
の謎は解けずに終わった。
一説には、奈良・薬師寺から滋賀県安土・桑実寺を経て土山の3ヶ寺に
伝わったとも言われているが?
野洲川沿いに青土ダムを経て、清涼寺を訪問。
古寺の町と言われている甲賀市甲南町へと進路をとる。
<重文>千手観音立像を本尊とする檜尾寺、<重文>十一面観音立像を
本尊とする伊勢廻寺(いせばじ)は共に806年に開創されたと伝わる古刹である。
共に小高い丘陵を背にする小さなお寺であるが、貴重な仏像を伝えるまさしく古寺
である。
近くにある、近年庭園を整備していると聞く明王寺へも寄ってみた。
まだ進行中ではあったが、完成すれば面白いかな。